Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

借金は果たして悪か

ググれば色んな意見が出るであろう問いだが。借金(ローン)は悪ではない。私も昔は借金はよくないことだと思っていたが、借金は「期限の利益」を生む。期限の利益とは、「期限の到来するまで間があることで当事者が受ける利益」のことをいう。期限があるということは、利益なのだ。

期限 - Wikipedia

大きな買い物をするとき、100万円を現金で支払えるとしても、分割支払いすることには意味がある。今すぐ100万円まるまる支払わなくて言い分、リスクヘッジがとれるからだ。今月は問題なくても、来月はたまたま出費がかさむかもしれない、そうなったときに本来支払うべきだった100万円からいくらか補填できるのだ。このように、借金には利益がある。だからこそ、貸す側はその利益の対価として利息を求めるのである。

だから、その期限の利益と比較して、金利が安ければ借金は問題ない。例えば、車のローン。新車を買うときに10%のローンはものすごく高くなってしまうが、これが、1~3%だと安いといえる。現金一括で払えることができたとしても、ローンする価値はあるといえよう。その他、数十万の家電であれば金利ゼロ、というものもあるため、期限の利益をまるまる享受することができる。使わない手はない。(審査の手間などのオーバーヘッドを無視するならば)注意することといえば、住宅ローンなど長い目線でみえば通貨価値の増減で、損する可能性もある、ということだろうか。

とにかく、借金やローンというのは悪いものでは決してないので、毛嫌いせず有効的に使うべきだと思う。

脳のブレーキを壊す

以前書いたエントリと似たようなことだが。 murabito-rx.hatenablog.com

人は皆、何かしら常識というものをもっていて、逸脱しないようにしている。だが、その常識というのは、周りから押し付けられたものではなく、あくまで脳が作り上げた妄想であり、自分の人生への言い訳なのである。なにか新しいことをやろうとするにはパワーがいるし疲れる。それをしないために自分の脳が作り上げた自分の中の常識を言い訳に、なにもしない。

問題は、それを無意識にしてしまっていることだ。そうしたくてそうしてる人にとっては問題ないが、自分は変わりたい、もっとよりよく生きたい、と思っている人でも脳が常識という縛りをつける。スポーツ選手にも似たようなことがあるらしく、脳のブレーキのせいで、今まで以上に速く走れなかったりすることもあるそうだ。

だから、脳のブレーキを壊す、という方法は非常に有効だ。今まで以上によりよくなにかをしたいならば、常識というのは邪魔者でしかない。常識はいわゆる過去であり、過去をこねくり回しても未来は変わらない。過去に関係なく、今時点で何ができるか、というのを見据えるべきだろう。脳のブレーキを壊すには、自分の常識を壊す新しい考えに出会うことだ。たまにはいつも会う人でなく、好みも指向も違う人達とあったり、何かカンファレンスに参加してみたり、それこそ外国人と話したっていいだろう。外部から刺激を受け続けることで、自分の常識が如何にチープで、アホらしいことかということがわかるはずだ。

就業時間の8時間って、実際どれだけ集中できているのだろうか

フリーランスになって、働く時間は自由になり、何時から始めようが何時に終わろうが制限がなくなった。そうなってくると実際どれだけ働いているかわからなくなったので、最近は細かくログをつけるようにしているのだが、最初は愕然とした。8時間以上働いているつもりでも、無駄な時間を省くとその半分、4時間しか働いてなかったりしたのだ。これはいかん、と思ってなるべく無駄な時間を削減する努力をして大分時間効率は上がった。 ただ、その効率が悪い状態でも、サラリーマン時代と極端に差があったようには感じなかった。私はサラリーマンの時から、8時間はたらいているつもりでも、実際は4〜6時間しか働けてなかったのかもしれない。実際みんなはどうなんだろう。拘束時間8時間のうち、どれだけ仕事をきちんとこなせているものなんだろうか。もちろん、多少のオーバーヘッドは仕方ないが、仮に半分の4時間しか働けてなかったら、成果主義ならいいんだけど、給料に見合ってないというか、もはや就業時間なんてどうでもよくないか、と思ってきた。

人は感情の生き物であるということを、意識する

どれだけ正論をかざしても、無意味な時がある。それは、感情に逆らおうとするとき。不躾に正論をぶつけたとしても、相手は嫌な思いをするし、それだけでは考え方を変えてもらえることは難しい。所詮、人間は感情の生き物だ。理屈や利口さというのは、自分の感情を肯定するためにあるようなものだ。例えば、「ダイエットは明日から」というポピュラーな?言い訳があるが、その言葉よろしく、今日は天気が悪いから走らない、とか、今日は友だちと会う予定があるから外食するのは仕方ない、など、ダイエットをしたくない理由を探す。頭のなかでは痩せた方がいい、という正論は分かっていても、感情がそうさせてくれないのだ。むしろ、理性が感情を後押しする。

逆に言えば、感情を変えることができれば、人を動かすことができる。ダイエットの例でいうと、あなたは痩せるべきだ、と正論を振りかざすよりも、痩せることでどういうメリットがあるか感じてもらい、心から、「ダイエットしなきゃ」と思わせるようにならないといけない。極論だが、もし今すぐダイエットしなければ、糖尿病になり、入院を余儀なくされるレベルだと、すぐにでもダイエットをしたくなるだろう。人工的にそういう状況を作るためには、インセンティブを課したり、逆に罰を課したり、ということもできる。ただし、相手に全くその気がなければ、何をさせようとしても無理だ。キャズムの向こう側の人をどうこうはできない。

自身を変えたくても、感情自体は変える必要はない。感情を変えることができるほどに人間は器用にできていない。そんなことをしようとせずとも、視点を変え、視野を広げれば自然と感情が変わる。大体の人は刹那的生き方を好む。来年もらえる10万円より、今もらえる1万円の方をとりたくなるものなのだ。刹那的視野、視点だけでなく、他の見方もしてみる。そうすると感情も変わる。例えば、今の仕事がつらいとする。でも転職は面倒くさい。こういう状況で、刹那的な考え方をすれば転職が面倒くさいので、少しのつらさは我慢して現状維持しつづけようとする。しかし、長期的な視野で見ると、このつらさがずっと続くということは如何に無駄なことかと思えるだろう。実際にそう思えるようになったら行動にも起こせる。ほかの人に相談して、自分では見つけきれない視点を見つけてみてもいい。参考程度にしかならないが、気づきを得られることはあるだろう。

とにかく、どれだけ理屈をこねても、結局は感情次第なので、如何に自他共に感情に訴えることができるか、シンプルに考えたほうがいい。

自分を変えるにはまず自分を認知すること

何か変わったとしても、変わる前のことを知らなければどれだけ変わったかわからない。自分をより良い方に変えるにはまず、現状の自分を先に認識したほうがいい。英語を身につけたいなら先にTOEICかなにかで実力を知るべきだし、痩せたいなら日頃の体重測定は重要だ。私は、最近集中力が足りなく、時間も有効に使えてないので、時間の無駄を省くことを考えている。だとすれば、やはり、現在どういう風に無駄な時間を過ごしているか、というのを測定しなければなるまい。

そこで、五分ごとにその時私が何をしているかメモをすることにした。実はこのやり方の有効性は以前やっていたので証明されている(あくまで私は)。 f:id:murabito_RX:20160721064102p:plain

メモはExcelで作ってある。一番左の列には5分ごとの時間が書かれている。「項目」欄はプルダウンを設定しており、選択できる。ソレ以外は自由入力だ。これで5分単位でその時何をしていたかロギングできるので、画像の通りダラダラしていた時間を測定でき、無駄を排除できるようになる、という勘案だ。

それだけでなく、私はフリーランスで仕事をしているので、仕事の時間配分や時間がかかった箇所の抽出、などもできるようになる。 画像には載せてないが、サマリの出力もできるようにしており、1日を通して、何に時間をかけたか、などがわかる。これで無駄な時間がより炙り出せるし、自分の働いている実質的な時間も測定できる。これを貯めていってグラフ化すれば、更にビジュアルで改善されていくのがわかるようになる。人間は、何かをやるとき、物事が進んでいて、かつ、それを認識しなければモチベーションは続かない。実際に改善されていても、体感できないとやめてしまう。そのモチベーション芽を潰さないように、現在を推し量るというのはすごく大切なことなのだ。

また、この方法は5分を強く意識するようになり、それだけでも無駄時間削減に繋がりそうだ。

アドリブが本当に上手い人なんてそんなにいない、みんな準備してるだけ

私は一般的に見れば、アドリブが得意だと言える。急に数百人いる場でなにか喋ってこい、と言われれば何か適当に喋ることはできる。だが、元来私はそういうのは苦手だ。ちゃんと準備して臨まないといけないタイプ。 だが、大概の人がそういうものだと私は思っている。ではなぜ、私が急に人前で何か話をすることができるか、というと、コレも実際ちゃんと日頃から準備しているからだ。

アドリブはそこら中に潜んでいる

ちなみに、アドリブをする機会は日常的に存在する。仕事で言えば、クライアントから急な問い合わせがあったりもそうだし、定例的な会議でさえ、そうだろう。だって、何を聞かれるかわからないのだから、脳内の台本通りにセリフを繰り出せるわけはないのだ。その他、生活上でも急なトラブルが起きたり、日常というのはいくらでも臨機応変な対応を求めてくる。

アドリブで対応するには、そのことについて知っていればいい

どうやってアドリブに対応できるかだが、これは非常に簡単で、その事柄について知っていればいいだけだ。例えば、誰しも「身長を教えてください」という問いには即答できると思う。だが、就職面接でよくある「あなたの長所/短所を教えてください」という問いにはどれくらいすんなり答えられるだろうか。うまく答えられない、ということは自分の中でうまくまとまってなくて答えがでてないのだ。つまり、自分自身の長所/短所は自分でさえわからない。それは答えきれなくて当然だ。その事柄について明確に知っていればすんなり答えられるのは分かってもらえたかと思う。だから、準備というのは、知っている範囲を増やすことだ。断片的でいい。必要に応じて断片的なのを都度まとめて、複合的に使えば臨機応変に対応できるのだ。 例えば、誰かが目の前で倒れたとする。これぞまさしくアドリブで対応しないといけないシーンだが、ここで、軽い問診の仕方が分かっている、人工呼吸のやり方がわかっている、気道確保ができる、という前提ならば、それぞれ断片的に持っている知識を複合的に利用する、ということになる。逆に、そういうのが何一つわかってなければ、もうどうしようもない。(ここでは救急車や助けを急いで呼ぶしかないだろう)

全てのアドリブについて対応できはしない

準備すれば、つまりすでに知識(厳密には認知, cognition)があれば、いろんな事に対応できる。だが、人は全知全能というわけにはいかない。全てのアドリブについて準備はできない。ここでオススメしたいのは、自分自身の考え方や性格といったメタ認知を高めることだ。まずは自分自身のことを知る。自分はどういう考え方をもっているか、長所や短所はなにか、日頃どういうこと考えているか、そして、価値観についてなど、予め認知しておく。実は、私がこうやって分を書いているのも、その仕込みの一つとも言える。私がここにこうやってまとめておけば「アドリブに対応できないんだけど」と困っている人に対してアドリブで対応できる。準備しているだけなのだが。つまり、私がこうやっているように、自分が考えていることや気づいたことをメモなりして、断片的にもっていて、必要なときに出せるようにすれば、いつでもアドリブに対応できるのだ。

タスクはあえて途中でやめる

仕事を切り上げるタイミングは人によって様々だ。大きくわけて、ある程度仕事が終わったら切り上げる方法と、時間で切り上げる方法があるが、私は時間で仕事を区切ることをオススメする。

あえて”後味悪く”する

仕事の進捗が良い時は、本当に気持ちがいい。もしも、今日予定していたタスクが定時内に全て終わりきれるならば、気持ちのいい達成感とともに退社できる。だが、次の日はどうだろう。その日で仕事を綺麗に終えてしまうと、次出社するときは「何からはじめよう」と考えることになってしまう。それはひとつのオーバーヘッドになりかねない。特に難儀な仕事しかない日は憂鬱だ。仕事にとりかかる事自体が遅くなる可能性がある。 だからあえて、今やっている仕事を残して帰る。そして次の日はその続きから始める。そうすると、何から手をつけようか考えるオーバーヘッドがなくなり、すんなり仕事に入れる。その途中までやっていたタスクを無事におえることができたら、弾みもつき、他のタスクも着手しやすくなるはずだ。 着手中のタスクを一時停止して帰るのは、”後味が悪い”が、逆に達成感をその日のはじめに持ってくることで、仕事に弾みをつけることができる。

時間で区切るとダラダラしにくくなる

今日予定しているタスクが、思ったより簡単だとわかると、だらだらしてすぐ終わるはずのそのタスクを一日かけてやってしまう、ということも起きる。時間で区切ることで、手持ちのタスクが終わったらさっさと次をやる意識を持つようにすれば、ダラダラやってしまうこともなくなる。

どう時間で区切るか

私はポモドーロ・テクニックを使っている。25分集中してその後5分休む、という方式だ。それを定時まで繰り返して、定時が終わったら残業しないで帰る。そういう風に仕事をすれば、タスクの処理スピードは一定に保たれて見通しがたつし、無駄な残業も減って自宅に帰ってきちんと休むこともできる。残業しがちな人は、まずは、あえて、仕事を残して帰ることからはじめては如何か。