Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

"当たり前"のレベルを上げる

みんな誰しも"当たり前"という自分なりの常識を持っている。例えば、小学校から高校まで通うのは当たり前の一つだと思う。ただ、それはあくまで一般的な日本家庭における話であって、中卒も少なからずいるし、国外に目を向ければ発展途上国は学校に通えない子供も多い。差別はよくない、という話ではなくて、結局"当たり前"というのは自分の環境と価値観において決まるものだということ。そして、"当たり前"は当然できることだし、難しいことではないということ。だから、"当たり前"のレベルを上げればそれまで難しいと思っていたことが簡単になるかもしれないということだ。

私はサラリーマン時代は、今みたいに独立してフリーランスになるなんて思ってもいなかったし、給料は手取り20万少しだったが、これより多く稼ぐのは難しいかもしれないと思っていた。それは私の"当たり前"だった。ある理由で私は転職を試みたが、結局私の理想とする会社にはまだ出会えなかった(というか理想がなにか分かってないのかもしれない)。いろんな事ができる、という理由で仕方なくフリーランスになったのだが、なってみれば今が普通であり、フリーランスなんてやることやっていれば仕事は途切れないし誰でもできる、と思うようになり私にとっての"当たり前"が変わった。今後また会社員になる可能性はあるが、そうなったとしても常に独立するという選択肢は持っている状態でいられると思う。そして、給料が20万というのはやはり少ない、ということも私の"当たり前"になった。

そして、上には上がいる。私は確かに独立して自由になって収入も上がったが、特段裕福になったわけではない。サラリーマンに毛が生えた程度だ。私の周囲の人間は、たとえば世界を跨いで仕事している人もいるし、もっと自由でもっと楽しく、もっと稼いでいる人もいる。私にとってまだまだこれからだが、それでも彼らは私の"当たり前"のレベルをあげてくれる。周囲が小中高通ってたら当然私も通うのが普通だと思うように、素晴らしい友人や仕事仲間のおかげで高みを目指すことができる(厳密にいうと、"当たり前"と認識した時点で高尚なことではなくなるのだが)。少しずつだが、着実に、自分が今できることを真摯にやっていれば、周りにはそういった素晴らしい人達が増えていき、自然に私も成長できる。そして仕事でもいいアウトプットを出すことができる。非常に良いループが生まれる。同僚や親しい人に視線を向けているだけだと"当たり前"のレベルは変わらなく、向上しない。積極的に外部の人間と交わることは、"当たり前"の定義をより良くするチャンスになる。