Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

全体主義と個人主義

日本の全体主義、欧米の個人主義

日本人の文化は全体主義だと言っていいだろう。協調を重んじ、和を乱さず、空気を読んで生きる、という考えは個人よりも全体をとった結果だ。逆に、欧米は個人主義な人が多い(らしい。友人から聞いた)。全体に従うのではなく、自分に従い、空気を壊そうが言いたいことは、基本的に言う。これほどまでに違いがあるのは、生きている環境によるものが大きい。簡単に言えば日本人は画一的で欧米人は多様的だ、ということである。日本には欧米に比べればほとんど移民はいないし、価値観が同一なので、言わなくてもなんとなくわかるし、主義主張があっても、突飛なことは言いづらく思えてしまう。逆に欧米人は移民が多いので、もともとの価値観が違い、言わないと分かってもらえない。その差によるものだ。

日本人の個人主義

そして、日本人もどんどん個人主義的になろうとしている。なぜなら格差が生まれているからだ。前述の通り、全体主義であるにはまず価値観が同一、つまりバックグラウンドが一緒である必要がある。ステレオタイプな昭和の暮らしのように、男は仕事、女は家事、だとか、小学校から高校・大学まで必ず卒業し、そして就職したら生涯同じ会社で働く、というように。だが、言わずもがな、経済に格差が生じ、必ずしも皆が皆、同じ生活を営むことはできなくなっている。そうすると価値観が違うので、言わなくてもわかってもらえる、ということがなくなり、自分の意見を言うようになる(ちなみに日本人は主張することに慣れてないので、圧倒的にこれが下手)。空気が読めないだとかゆとり社員がどうだとかが話題になったりするのは、そういうことが発端なのである。経済格差を原因に、生活スタイルや趣味趣向、価値観が細分化されはじめた今日の日本人として、個人主義に走るのは、当然の流れなのである。

全体主義個人主義、どちらがよいか

個人主義的思想をもつ若い人だと、全体主義は悪だと捉えるだろう。言いたいことをいい、やりたいことをやる、個人主義こそが崇高な思想であると思うだろう。それは半分そのとおりだが、半分は間違いだと思う。まず、全体主義とは何か、というとあえて過激な言い方をすれば「全体のために個を殺す」ということにほかならない。個の幸せより、全体の幸せをとり、その御蔭で皆が生きていける、という発想だ。逆に、個人主義はどうか。個人主義を端的に言うと「個のためなら他の人が死んでも構わない」ということだ。自分は残業したくないのでさっさと帰り、そのせいで他の人が犠牲になろうと、知ったこっちゃない、自分は給料をもらえてるし、それでいい。と思ったりする人もいるだろう。

もちろん、自身の幸せは大事だ。しかしながら、人は支え合わなければ生きていけない種族でもある。相互扶助無くして、文化的営みは期待できない。自分だけが富を得て、他の人が全員貧乏だとする。そうすると価値観が違いすぎて友達もできず、同じ目線で遊んだり話したりできないので、孤独だ。それに、周りが貧乏だと治安が悪化してしまう。経済活動が鈍化すれば売買されるものが少なくなり、嗜好品や高級品、金を持っていれば欲しいと思うであろうものは手に入らなくなってしまう。個人主義を突き詰めれば最終的には、自身すら、不幸になるのだ。

全体主義個人主義の中間

全体主義は確かに良くないが、だからといって個人主義も良くない。我々が目指すべきはその中間である。厳密に言えば中間というよりも、全体と個、両方を考える、ということだ。なにをそんな聖人君子のようなことを、と思うかもしれないが、それほど難しい話ではない。まずは個人主義でいい。それに満足したら近しい人に手を差し伸べる程度でいい。例えば、先程の残業が嫌な人の例をあげると、残業が嫌なのでただ帰る、ということではなくて、そもそも全員が残業しないでいいように業務改善をしたり、仕事の調整をみんなで図ったりするようにすればいい。まずは自分が満たされるのを先決、としてもいいが、余裕が出てきたらその分を周りにわけ、全員が幸せになるように計らうのだ。ここで大事なのは責任を持ちすぎないこと。出来る範囲でやること。まず、自分という一人が満足し、余裕がでたら周りの二、三人のために何かする。その施しを受けた二、三人も周りのためになにかできるようになれば、自然と全体が幸せになる。無理しない程度に全体主義。周りとコミュニケーションをとってみる、というだけでも相当変わる。日々出来ることをやっていけばいいと思います。