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Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

他人の言いなりになる必要はない。ブラック企業やブラックバイトの言いなりになる人達

最近、ブラック企業やコンビニバイトに対する冷遇について、ネット上などで記事が散見される。 最近見たものだと、下記のような話がある。

コンビニ店長が高熱を出したバイトに言い放った「なぜバイトがないときにインフルエンザにかかっておかなかったの?」がパワーワードすぎる

コンビニ店長とアルバイターのやりとりを要約すると、

  • 上記Tweetをしているアルバイターがインフルエンザで高熱になり、バイトの休みを希望している(その部分は明記されているわけではないが)
  • アルバイトが勤めているコンビニの店長は、代わりに出勤するアルバイトがいなければ、休むなという。さらにインフルエンザにかかったことに対して叱責、嫌味を言う。
  • アルバイターは謝罪し、出勤する、と言う。

上記に対して、ネットユーザーの数多くは店長を非難をしている。一般的に見て、店長がおかしなことを言っているのは間違いない。だが、私は店長のアルバイターへ対する態度よりも、アルバイター自身と、店長を非難する人が多すぎること自体が、問題である、と考える。

なぜ、おかしい人の言いなりになるのか

端的にいって、ここでの一番の問題点は、「納得していないことに対して自分の意志を曲げてでも従う」ということに集約される。
このやりとりのスクリーンショットTwitterにアップしている時点で、アルバイター本人も「これはおかしい」と理解している。そして、多くのネットユーザーが非難している点を付加すると店長がおかしなことを言っているのは間違いない。にもかかわらず、店長の言いなりになるばかりか、謝罪までしてしまっている。「おかしな店長だ」という意見は数多いが、この状況こそが、最も問題である、という認識があまりにもされていないし、非常に残念に思える。

店長は「災害」だ

例えば、友人らとサッカーする予定だったのに突然の悪天候によって、それができなくなった場合、天気を非難することは、まずない(子供ならともかく)。雨が降ること自体に”ムカつく”ことはあれど、「ああ、雨がふってしまった。楽しみにしていたのに、日を改めるか。やれやれ、皆と連絡とりあわないと」となるのが関の山である。悪天候だけでなく、その他の状況や、今回のようにインフルエンザなどの体調不良になってしまっても、大体そんなものだ。我々は天気や災害、その他の「仕方のないこと」によってその都度柔軟に対応していく。
話を戻す。実は、店長のパワーハラスメントともとれる振る舞いは、受け取る方からすると「仕方のないこと」であり、雨や災害そのものなのだ。日本憲法の法の元生きている我々は、表現の自由が認められている。天皇や首相を批判しようとも、ありがたいことに逮捕されたりはしない。侮辱罪や名誉毀損罪など、他人に直接の被害をもたらすもの以外は、大抵、何を言っても自由だし、許される。だから、店長が「インフルエンザだろうと、出勤しろ」と言うこと自体は、例えおかしな発言だとしても、発言すること自体を止めることはできない(その結果、パワーハラスメントがあったとして社内的に処罰されるとしても)。 少し長くなったが、つまり他人は他人であって、天気や災害と同じで、まったく予測しなかった振る舞いや言動をすることもあって当然だと、我々は認識しなければならない。店長がどう言うかは自由であり、そして、アルバイター本人も、それに対してどう振る舞うかは自由である。急に雨が降った時、傘を差したり雨宿りするのも自由、という具合に。 店長の暴言という大雨が振ったのに、なぜかアルバイターは雨に濡れる(雷に打たれるくらいの酷な扱いだが)ことを選んでしまったのだ。

悪天候に文句を言う人はいない

雨が降っているのに、わざわざ自ら外に出て雨に濡れて、それに対して「濡れちまったじゃないか、なんで降るんだ!雨め!」と本気で声を荒げる人は、少なくとも私は見たことがない。傘を差したり雨が止むまで屋内にいるのが普通だろう。それと全く同じで、店長が「無理してでも出勤しろ」と言っていることに対して、そんなに体調が悪いのに文句を言いながら行くべきでは、明らかにないのである。まず、我々は何のために労働しているか考えてほしい。裕福に、幸せに、生きるために他ならない。死んだり、病気になったり、怪我をするために労働をするのではない。だから、上司や責任者がなんといおうと、それは自由だが、それによって自身が不幸せになるなら、それを回避するべきだ。死ねと言われて、素直に死ぬ人なんていないのと同じで、出勤しろと言われたからといってインフルエンザなのに素直に出勤するなんて、本来、あってはいけないことだ。

なぜ、無視ができないのか

この不条理に従う、というのは大変不思議であるといえる。だが、それなりに理由はあるだろう。例えば下記のようなことだと認識している。

  • 他人や自分は、それぞれ尊重され、そして自由だという認識の希薄さ
    まず、アルバイター本人は、やりとりをインターネットに晒してしまう程度には、店長の意見を尊重していない。こんな意見尊重できるか、という話ではあるのだが、その意見はあくまで、我々一般の意見から遠い場所にある意見だ、というだけであり、一つの意見であることにはなんら変わりないのである。日本人にとって、自宅に土足で上がられると大変嫌な思いをするが、欧米人にとっては普通のことだったりするように、「普通」というのは非常に揺らぎやすい。店長が非人道的なことを言っていたとしても、それはただの意見であり、それが店長にとって「普通」であり、一つの意見として尊重されるべき。そして、アルバイター自身の意見も自ら尊重するべき。「店長はそう思うのだろうが、私は無理してまでいきたくはない」と言うだけの話なのだ。

  • 短絡的な発想
    何事にも抗わないのは、短期的に見て非常に楽だ。意見を主張する、というのはお互いの意見が食い違った場合、説得したり妥協のしあいをする必要があり、一言でいって「めんどう」である。ただし、だからといって、後々負担になるのだから、常に言いなりになってしまう行為は「めんどう」の先送りでしかない。多少面倒であろうと意見をしっかり言う必要がある。相手方にとって失礼ではあるが、今回のように体調不良でそんなことをする余裕がなければ、それこそ無視を決め込んでもいいだろう。まずは自分の命を守ろう。インフルエンザは死の恐れすらある。短絡的な発想に命を奪われてはならない。

  • 視野が狭い
    他にも理由があるにせよ、一番はこれだ。まったくもって視野が狭い。コミュニティ(この場合はコンビニのバイト)に嫌われたら終わりだ、と思っている人が非常に多く、今回のアルバイターもそうだ。店長の言いなりにならなければ、クビになってしまうおそれや他の店員の迷惑になり、アルバイター本人が非難される恐れは確かにある。だが、それは実際は大したことではない。仮にこのアルバイトをバックレてしまったとしても、その影響は微々たるもので、二度とアルバイトできない、就職できない、ということはまずありえない。仮に多少晒し者にされたとしても、引っ越せば終わりだ。嫌われるのが嫌なのはある意味本能的な感情なので、理解できるが、それでも死ぬのはごめんだし、他人にインフルエンザを移すようなことはしたくない、と私は思う。

視野を広げよう

日本人は非常に視野が狭い人種だと言える。なぜかというと、大体が画一的な生き方をしているからだ。人生はこうあるべき、というコモンセンスが浸透しておりの、ールを外れることを大変怖がる。少し視野を広げれば色々な生き方があることに気づく。少なくとも、日本に生まれて育つ、というだけで非常に幸せなことなのだ。生活保護はあるし、少なくとも現時点で戦争の脅威にも巻き込まれる恐れはない。生きているだけで儲けもん、である。生まれた時点でボーナスステージ。だから、たかがちっさいコミュニティに嫌われることを、恐れてはならない。日本だけでも1億以上、世界で70億以上の人間が生きており、それらの人全員に嫌われることなんて不可能であろうから、馬が合う人、コミュニティはすぐ見つかる。愚痴るヒマがあったら、人目なんて気にせず、気楽に、好きにしましょう。

補足

精神的に追い詰められた場合は、正常な判断を下せなくなることはもちろんあり、それによって死んでしまうこともある。だからこそ、日々、追い詰められないように、他人の言いなりにならず、自分の気持ちに従うべきだ。