Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

文句いわれても気にするなよ

私は人からしばしば相談ごとにのることがあるが、アドバイスしても「そうすると、上司/同僚/家族etc..から文句いわれるから」「怒られるから」という言い訳をされることが多い。

文句は歴とした意見である

まず、勘違いしないでほしいのが、文句は意見の一つであるということ。サイレントクレーマー、という言葉があるように、不満があるのにその場でいわない人もいる中、すぐ文句を言ってくるのはむしろいいことだ。文句を聞いて悪いところはなおして、より改善できる可能性がある。

文句くらいいう権利はあるし、文句を聞き入れるかどうかも自分次第

文句も意見の一つなのだから、文句くらい言ったっていいだろう。あなたが何かしようとして、誰かが文句言ってきたとして、それはただの一つの意見だ。そして、それを聞き入れるかどうかは自分で判断したらいい。その人が文句を言うからといって、あなたがやろうとしていることはあたってるのか、間違ってるのか、なんて行動を起こす前にわかるわけがない。そういう意見もあるのだな、とまずは自分で咀嚼して考えてみよう。

ただ文句を言いたいだけの人もいる

この世には残念ながらただ文句を言いたいだけの人がいる。日頃の鬱憤を晴らしたい人や、マウンティングをしたがる人が、なんでもかんでも文句をいって、誰かを卑下する機会を伺っているのだ。だが、彼らを止める権利は誰にもない。先にも言ったとおり、ただの意見なのだから。その意見を受け入れるか受け入れないかは自分次第。「この人はただ文句が言いたい人なんだろう」とあなたが判断するのなら、無視してしまえばOKだ。この画像をみればハッとするかもしれないが、全ての人を納得させるなんて無理だし、馬鹿馬鹿しいことなのだ。


「文句いわれるから」の裏にある心理

実はこれが一番の原因なのだが、「文句いわれるからなにもしたくない」というのは、要は、他人に嫌われたくないという意味だ。何か変化を起こせば、ある人にとってはありがたくとも、またある人にとっては迷惑かもしれない。だが、何か行動を起こすということはつまりはそういうことだ。変化とはそういうものなのだ。良い変化、悪い変化は相対的であって、人に依る。でも、あなたの行動で周りに変化を起こしたからといって、あなたが責任を被る必要は全く無い。その変化を受け入れるか、拒否するかはその人次第だからだ。嫌われても気にするな。世の中の全員に好かれる、といったことは無理だ。誰かに好かれた分、誰かにも嫌われる可能性がある。みんなに好かれたい、なんて虫がよすぎる。あなたのことを好きになる権利も、嫌いになる権利も、その人にはあるからだ。そして、嫌われるのがいやだからといって何もしないのは、自分の人生を捨てたも同然だ。自分のやりたいことをやろう。そして、文句をいわれても気にするな。繰り返すが、そのくらいの権利はだれにだってあるだろう。文句言ったっていいじゃない、人間だもの。