Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

専門性をもって他者に貢献できるという幸福

他者になにかしら、自分の行動や知見で役に立てるのは嬉しい。ボランティアなど無償の社会活動は、まさにその社会欲求を満たすための行為のひとつでもある。善だの偽善だのはどうでもいい。自分の行動が誰かの役に立って、それが嬉しいからやるのだ。ゲンキンなようにも思えるが、自分だけが嬉しいばかりか、相手も嬉しい行為なので、winwinの関係で素晴らしいことだと思う。さらに、自分を含む小数のみが知っている知識や自分しかできないことを提供して人の役に立てるのは、をゴミ拾いや炊き出しなど比較的だれでもできるボランティアよりも(ボランティア自体は行為に関わらず高尚ではあるが、ボランティアを提供する側からみて)より高度な他者貢献だ。他のだれでもない、あなただからお願いした。あなたにしかお願いできない。そう言われて嬉しくないわけがない。だから、基本的にはそういう専門的知識や技術を向上させ、仕事ないしはボランティアで人の役に立てたとき、自分の存在意義を改めて認識することができて、より幸せになれる。私はその幸せを追求するために仕事をして技術を磨いて、コミュニティにも参加しているのだと思う。ちょうど昨日も、知り合いの学生からいろいろ就職活動についてアドバイスを求められた。的確なアドバイスができたかどうかは、彼女が納得の行く就職ができたかどうか結果を待つばかりだが、とりあえず、昨日時点では感謝してもらえた。学校の先生がしらないことを私は教えることができたと思うし、彼女からの感謝に喜びを感じた。なんでもいい、少しずつ頼られるようになる、というのは気持ちのいいことだ。やれることが多ければ多いほうが良い。もし、なにも誇れるものがなかったとしても、心配はいらない。アドラーによれば、本来は生きているだけでも存在意義というものはあるはずなので、身近な人からできることをやればそれでいい。生きて普通に生活しているだけでも、経済活動をしていることになるわけだしね。