Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

"当たり前"を高いレベルにもっていく

人は慣れないことはなるべくしたがらない。なぜなら、新しいことをするには頭を使わないといけないから。それよりは昨日までの自分の当たり前の中で生きるほうが楽だ。その最たるものがいわゆる老害と呼ばれる人たちだ。彼らは新しいことや変化をさけ、今までの自分を肯定するために、自身が認めるもの以外を否定する。新しいことをするのが正しいと認めてしまうと、常に頭を使わないといけないことになるし、今までの価値観とは決別し、楽をすることもできなくなる。それをしたないがための自己防護策だ。

でも、新しい価値観を認め、常に考えていこうとする行為を当たり前と捉えればさして面倒ではない。過去を当たり前とするのではなく、今をどうするかを考えるのを当たり前という風に考える。最初は慣れが必要だ。例えば、幼少の頃は毎日歯を磨く、というのは面倒で個人的に苦痛だったが、大人になったいまではむしろやらない方が苦痛である。他の例でいうと、私はジョギングを継続的にしているが、これができているのも慣れのようなもので、日頃走らない人からすると大層高尚な行為に思えるだろう。

こういう風に、自分の中の"当たり前"を高い次元にもっていければ、苦痛でもなんでもなくなる。嫌なことから目を背けるだけの刹那的な生き方では、中長期的に苦痛を伴う。自分の行為が人生に今後どう作用するか考え、低きに流れてはいけない。単純に低きに流れるという生き方は、文化的な人間らしい生き方ではなく、どちらかというと刹那的で本能的な動物のような生き方だ。