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Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

現実はツラくない

よく「現実は辛い」、「現実は甘くない」ということを耳にするが、「現実は辛い」というのは幻想だ。 "現実"に対する"ツラさ"はどこからくるのだろうか。

現実と理想の乖離

なぜ、「現実は辛い」と思うのか。答えはシンプルで、「現実に過度な期待を抱いている」からに過ぎない。 当たり前のように現実に理想を押し付けているのだ。 多くの人が現実と理想を混同し、現実に過度な期待を抱いている。いくつか原因があると思われる。

現実に対して過度な期待をする理由

理由1: 過去からの未来への推測

日本はこれまで恵まれすぎていた、というのが現実と理想を混同する理由の一つだ。たとえば、終身雇用制度の崩壊は実際に起きているが、まだそれにすがりついている人が多い。 昭和の古き良き時代には、大学卒業直後、一つの会社に属し、年齢とともに年収があがっていき、男が大黒柱となり家族を支えるということが当たりまえであった。この仕組みは素晴らしいものだと思う。就職活動さえ乗り切れば、あとは食い扶持を必ず稼ぐことができるからだ。その制度が崩れ、一生一社というのはもう不可能に近いし、ある程度稼いでいても共働きが普通になっている。誰でも聞いたことのある大企業が、一夜にして倒産の危機に瀕することもある。一生安泰というのが難しくなった。この例のように、過去比較すると、現実は辛いと思う人も多いだろう。

理由2: 誰かが助けてくれると思い込んでいる

日本が非常に恵まれている点として、最低限の生活レベルが保証されていることが挙げられる。最悪、なにかあっても国のセーフティネットに助けられるのだ。それをベースにしてたくさんのことに恵まれている。義務教育制度、生活保護雇用保険、就職支援、制度だけではなく、協調を重んじる日本人の意識にも相互扶助の精神は宿っている。特に親から子に対する愛情はもはや歪なものといっても過言ではない。どの中学、高校に行かせるべきか考えてあげてたり、仕送りもたくさんしたり、とにかくなんでもしてあげるのだ。助け合いの心自体は悪いことではなく素晴らしいことだ。問題は、「誰かが助けてくれる」と助けられるのが当たり前になって成長してしまうことなのだ。 人が人を助けることができるのは、はっきりいって自分に余裕がある場合だけだ。自分のお腹が空いていて、言われてもいないのに他の人にわざわざ食べ物を分け与えたりはしないのだ。なのに、子供の時に恵まれて育った大人たちは他力本願で、自分のことを助けてくれるのが当たり前と無意識に思っているだけでなく、「言わなくても誰か私の気持ちを代弁してくれる」「困っていることを伝えなくてもわかってくれる」という幻想を抱いている。親からの施しに近いものを求めている。もちろん、周りの人間は親でもないし、主張しなければ他人のことをいちいち気にかけてくれるわけはない。こと社会人になればそこまで自身に余裕のある人間はおらず、実際に何も言わなくても助けてくれることなんてほとんどあり得ない。主張もしないのに「上司なのにわかってくれない」などと嘆く。無意識に誰か助けてくれる、と期待しているが、現実は誰も助けてくれないので、現実を辛いと感じる。本来自分のことは自分でやる、というのが現実的指向なのだ。

理由3: 現実を見ない

これは理由1,2にも通ずることなのだが、現実を見ないように構えている人が多い。現実を受け入れてしまうと、現実に対処しなければいけなくなるからだ。時代は移り変わり、その時に応じてやるべきことが変わる、ということは無意識には知っている。だからこそ、現実は見ないで、過去に縛られておくほうが楽なのだ。思考停止の理由としての、現実逃避である。現実を直視する代わりに「こうあってほしい」という理想のフィルタを通して現実をぼやかしている。しかし、無論だが現実からは逃れることができない。いくら目を背けていようと、現実に生きているからだ。今まで目をそらしていた現実から、自分にとって都合の悪いことをつきつけられると、現実に絶望し、現実を辛いものとして認識してしまうのだ。

現実をありのままに捉えるとどうなるか

現実というのはツラいものでもないし、楽なものでもない。現実は現実でそれ以上でも以下でもない。ただの現実。それに対して期待や絶望を抱くのは結局は自己都合だ。現実から目を背けなければ、これから起こるであろう自分にとって都合の悪いことには対処しやすくなるし、逆にいい部分も見つけることができる。 たとえば、今の日本の終身雇用制は崩壊している一方、起業はしやすくなっていると言われている。技術の発達により個人でできることも増え、各種アウトソーシングができるようになったのが大きい。現実を直視している人は、例えば「雇用されることに不安があるから、起業して自分でやってしまおう」という風に思えるのだ。現実がよくなってほしい、と明日の天候の悪さを憂うような無駄なことはせず、現実と付き合っていくにはどうしたらいいのか、と思考や視点を変えることで、よりよい人生を送ることができる。

現実逃避は悪か

ここまで、現実が辛いと誤解してしまう理由は現実から逃避しているからである、と述べた。ただし、現実逃避自体は悪では決して無い。 現実を直視することによって、現実に合わせて思考し、行動していかなければいけないというのは人によっては大きなパワーを要する。太っているけどダイエットしないのは、太っていることとダイエットの難儀さを天秤にかけた結果なのだ。身も蓋もない言い方をすると、現実を見ないと自分で人生は切り開くことはできないが、現実を見ると自分で人生を切り開く難儀さが発生してしまうのだ。天秤にかけてどちらをとるか、は人それぞれが考えるべき事柄であって、 他人が口を挟むことではない。ただし、やはり現実を見て、自分自身で人生を選択出来たほうが、よりよく生きれると私は思うのだ。