Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

最高のチームとは

結論:攻殻機動隊「公安9課」のようなチームワーク論である

私が好きなアニメ・漫画で知らない人には申し訳ないが、「公安9課」と呼ばれる少数精鋭チームのボス荒巻課長の言葉に非常に共感を覚えており、好きな考え方だ。

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―― 我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。


この言葉は、真正面から捉えてしまうと、非常にドライな印象を受けてしまうかもしれない。実力主義で成り立っている少数精鋭だから、各々が実力を発揮しないと意味がない、逆に言えば実力を発揮できなければ存在価値がないという風にまで見えてしまうかもしれない。

ただ、私の場合は単に「実力主義」ありきの言葉ではないと実感している。

私はもともと効率を重視して考えがちなため、チームや組織・仕事における問題や課題をどうすればクリアできるか常々考え、実行に移すタイプだった。どのようにすれば成果物の品質があがるか、コミュニケーションが円滑になるか、組織全体の技術力をあげるにはどうするか、などだ。その一端として、それをクリアするためにワーキンググループを立ち上げたり社内勉強会開催など実際に行動にうつしていたこともある。目の前に課題が現れたら、いかにして解決するか、行動しないと気がすまないたちだ。

しかしながら、おおよその会社員・チームメンバーはあまりそうではないと感じていた。だいたいの人は、ある程度収入があり、無理しない程度の残業や理不尽なことは、何も気にすることなくそれを受け入れ、流されてしまう。問題があることを意識していても、それを解決するには問題提議が必要なだけでなく、それに対する解決案の提示、そして周りを巻き込む必要があることを考えれば、なるほどたしかに、課題解決というのは難儀なのは間違いないと思う。

みんな主体性がないのだ。チームの雰囲気を壊さず、与えられた仕事をこなせば、そんな難儀なことをしなくとも生活できる。わざわざ主体性をもって率先して行動を起こす必要性はあまりないだろう。 行動するとしても上司やリーダーから言われたことを雰囲気を壊さないようにこなす。なぁなぁなチームプレー。これを否定するのが荒巻課長の言葉だと考えている。

各々が主体性をもってベストを尽くしているか、ということである。

各々が強力な主体性を持っているとどうなるかというと、最終的には、誰かが誰かの許可を待ったりはせず、どうすればチームとして有機的に力を発揮できるか考えすぐに行動に起こす、ということが繰り替えされるはずだ。 例えば、誰かがAをやっている、他の誰かがBをやっている、じゃあ自分は誰も手をつけていないCを勝手にやる、という風に主体的に考えて行動すること、それこそがスタンドプレーだと思う。必要だと思われることは主体的にやる。誰もこなしていないタスクがあれば率先して拾うし、コミュニケーションが必要だと思えば、自らそういう場を作る。チームが最大限の力を発揮できるよう、常に考えを巡らせ、自分がやれることをひたすらやる。それは最早チームプレーというものではなく、各々によって独自にコーディネートされた、強力なスタンドプレーだと思うのだ。

実際、そういう仲間があつまり、背中を任せられるというのは本当に気持ちがいいものだ。正直、あまり巡り会えるものではないと思う。ある一定以上の人数がいれば、集団心理が発生し民度もさがったりするものだ。だからこそ、強力なスタンドプレーをし合える、少数精鋭チームで仕事できるのは至高な体験である。