Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

仕事至上主義から脱することで、仕事も人生もうまくいく

最近、徐々に私の仕事への考え方、姿勢が変わってきている。もともと、どちらかというと、多少ストイックな性分なので、仕事の上でも自分に厳しい方だ。 例えば今週は何時間働けたかとか、無駄な時間を排除してどれだけ仕事に充てることができるかとか、そういうことをたくさん考えて実行していた。

それはいわゆる仕事ファーストな考え方だと思う。仕事をする、という行為は素晴らしいことで、働くことこそ何にも勝る美徳である、と無意識的に捉えていた気がする。これは私だけではなく、世間的に言えば働いている大体の人が同じような仕事観を持っていると思う。仕事至上主義。だからこそ、毎日残業、休日出勤は当たり前、たまの休みは寝てるだけ、の人もやっていけてるし、忙しかったり一生懸命働いていると、賞賛の対象になったりする。

しかし、ここにきて、その仕事至上主義を脱したいという気持ちが出てきた。忙しくなるとふと考える。「何のために働いているのか」。ゲンキンなことを言えばお金を稼ぐためである。無論、人の役に立ったり、やりがいを感じたりというものもあるが、それらは副産物の1つだ。それらは(給料のもらえる)仕事を通さなくとも、ボランティアやスポーツなどで得ることができるだろうし。

考え方を変えるきっかけになった1つの要因は、ロボットや人工知能の台頭だ。いくつかの革新的技術によって、そのうちに車は自動運転になりそうだし、コンビニも無人運営になりそうだ。もっと身近なところでいえば、一部レジの無人化であったり、英語の翻訳も素晴らしい精度に仕上がってきた。その内に私の職である、プログラミングも自動化されていくだろう。そうすると私達の仕事はなくなる。厳密に言えば、仕事はなくならないが、かの産業革命後のように、仕事の内容が大きく変わる。仕事がなくなる、というのはあくまで今までのやり方ではなくなる、ということで、新たな仕事が創出されていくだろう。
人間の長い歴史を振り返ってこのことを鑑みると、ある1つの傾向が読み取れる。それは「仕事は、楽に、短くなってきている」ということだ。大昔、旧石器時代の"仕事"と言えば言うまでもなく狩りであろう。(やったことはないので実際にはわからないが)狩りはものすごく労力がかかる。武器をもって獲物を追っかけまわさなければならないし、逆襲されて死ぬ恐れさえある超過酷な重労働だ。ブラック、なんて言うレベルではない。しかも毎日獲物を確保できるとは限らず、数日かかってようやく飯にありつける、ということも珍しくないだろう。つまり、労働時間も圧倒的に長い。現代のように、8時間働いて定時になったから帰ります、という具合にはいかないのだ。それこそ本当の意味で死ぬ気で取り掛からなければいけない仕事だったのである。その直後の"産業革命"に当たるのが穀物栽培や酪農であろう。狩りと比較すると安定的な生活をおくることができるようになったはずだ。殺されるリスクや労働時間は確実に減ったといえる。

そういった時代から長いときを経て、お金という概念ができあがり、それまで曖昧だった仕事に対する認識も「仕事・労働」としてしっかり認識されはじめ、職業が確立されてきた。1900年代、日本では例えば飛脚や大工、竹細工を作るといった職業あり職人がいた。その時の"休暇"といえば月に二回程度だという。それでも大昔と比較すればものすごい進歩である。死ぬか生きるか、おそらく毎日のように行われていたであろう"仕事"が、安全で、しかも月に2回も休めるようになったのだから。それからさらに100年以上経った現代は、月に8日〜10日は休みだし、重労働は一部を除いて大分減った。先に例を挙げた飛脚などはそれこそ毎日自分の脚で走り回る必要があったが、今時の物流や配送はもちろん車やバイクである。個人的には、思ったより休暇は増えていないな、と感じるのだが、全体の労働時間も減っていることは想像に難くないし、仕事内容自体もものすごく「楽になった」のだと言えよう。

さて、過去から辿り始めると長くなってしまったが、このように「仕事は、楽で、短くなってきている」というのは明らかであろう。この傾向を考慮すれば、今後の私達の仕事はもっと楽になり、もっと休みも増える。非常に喜ばしいことだ。そう考えると「仕事とはなんなのか」ハッとさせられる。何のために働いているのか、という問いに戻れば、原始的なことを言えば「生きるためである」と言っても過言ではない。これが昇華して、やりがいだのそういったことが目的になってきているとすれば、逆に、生きるために働いているという意義は薄れてきて、詰まるところ、働くことの重要性はなくなってきている、ということだ。

自分も何がやりたいのかははっきりとまだわかってないが、仕事が収縮していく以上、我々はその代わりになにをやるか、ということを今のうちに考えておいたほうがいいと思う。これはなんでもいい。趣味に時間を使うとか、旅をしてみるだとか。とにかく、昔に比べてやりたいことが圧倒的にやりやすくなっているし、もっとやりやすくなることは間違いない(戦争が起きれば、別の話になるが)。仕事が人生だ、などと思わず、もっとやりたいことに焦点を当ててもいいはずだ。特に我々日本人は仕事以外のやりたいことをおざなりにしてきた、と言っても良い。過労死やブラック企業が蔓延ることがそのことを裏付けている。

そうこう考えているうちに、「そこまでストイックに仕事ばかりやる必要もないなぁ」と思ってきたのだ。もちろん仕事が楽しい人もいるだろうが、それらの行為は大抵は仕事を通さずともできることだ。やりたいこと、楽しいことは仕事外でもどんどんやっていく。そして仕事をなるべく楽に短く終わらそうとする。これは手を抜くということではなくて、効率性やアウトプットの質をあげる、ということだ。無論だが、仕事なぁなぁにして、職をもらえなくなってしまってはそれこそ(今は)生きてはいけないからだ。仕事至上主義の考え方から脱することで、その副産物として仕事はもっとクリエイティブで生産的になっていくのだ。とすればやはり、今から次なる"産業革命"に向けて準備をしておいたほうがよい。仕事至上主義をやめ、自分のやりたいこと、楽しいこと、つまり、遊びを追求していく。それこそが今風(いや、楽に楽しく生きることを追求しているという意味では過去と変わりない)の生き方なのだと思う。