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Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

他人のため、という動機はあり得ない

他人に対してなにかをする場面は多々ある。例えば友人が入院したのでお見舞いにいく、とか、祝い事があればご祝儀を包んだりする。これは、その友人のためにやっている行為に見えて、実は直接的にはそうではない。「自分がそうしたいからそうする」のである。何か祝ってあげたい、という気持ちもあくまで自分の中の感情だ。つまり、他人のためになにかをする、という行為は、実は自分がやりたいからという自分の意志にもとづいており、自分のための行為である。それが結果的に他人のためになっているだけだ。そんなことはない、という意見もあるかもしれないが、本当に聖人君子であるのであれば自分にまったくお金がなくとも、友達のために借金をしてでも施しができるはずである。結局は無意識的に、自分自身への利益を鑑みているのだ。

思ったよりも人はドライかもしれないが、悪いことではない。むしろ自身と他人の両者にとって良いことなら、望ましいことだろう。だが、悪いパターンも存在する。他人を自分の言い訳に使う行為である。「家族、子供がいるから、仕事を辞めることなんてできない」といって、現状に不満のある仕事をし続けようとする人がいる。一見、家族のために立派である、と評価されそうなものだが、実は違う。転職する、というのは労力、パワーが要るものであり、必要がなければしたくないものだ。勇気もいる。だから家族や子供を言い訳の材料につかっているだけなのである。本当に家族や子供のために働く、ということは自分自身も仕事で満たされるべきだ。自分に余裕がないのに家族を幸せにすることは難しい。本当に家族のためにやるなら、必死になってスキルを磨いたり転職先を探すべきであろう。他にも「他人のため」の皮をかぶった言い訳はかなりある。子供がいるから離婚できない、友達が傷つくから言いたいことが言えない、同僚が働いているのに風邪なんかで休めない、etcetc...。自分自身を正当化するために他人をダシにする行為は、どちらのためにもならない。
しかし、最たる問題というのは、この自己正当化を無意識にしてしまっている、ということだ。それどころか他人のため、と思いこんでいるのでなおのこと質が悪い。相手のためだけ、という行為は存在しない、ということを念頭に置き、しっかり、「自分のためになる行為はなにか、そしてその行為が他人のために作用するにはどうしたらいいか」ということを意識する必要がある。あくまで、自分がやりたい行動の範囲で周囲を幸せにするのである。自分自身をも幸せにできないのに、周りのためになにかできるなんて、おこがましいにも程が有るのではないか。