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Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

批判的意見を批判するのではなく、自分が自由になる努力を

日本人の気質は、褒めたり讃えたりするよりも、批判や非難をする、つまりポジティブな意見よりもネガティブな意見が数多く見られる、と揶揄されるが、批判的な姿勢自体は間違っていることでも悪いことでもない。だが、そんな態度は良くない、という風潮もある。

誰にでも自由に意見をいう権利がある

確かに、批判的な意見は耳が痛くなるものである。しかし、だからといってそれを咎めることはできない。憲法にも明記されているように、誰しも「表現の自由」を持っているからだ。

許容の押しつけという矛盾

結局、批判的な態度を取るな、というのは、自分が許容されたいからに他ならない。そういう文化にしてしまえば自分も楽であるから、他人に許容を求める。その考え方自体は間違っちゃいないが、やもすれば、許容することを強制しようとしてしまいがちだ。「批判的な意見ばかりをぶつけるな、少しは認めろ」といった類の主張は、自己都合的であり、自由な意見を主張することを「批判している」。

あくまで受け止める側の問題

さて、本来は言うまでもないのだが、意見を言う側の自由もあれば、意見を聞き入れない自由もある。これも憲法に記されているが、思想及び良心の自由(これには表現の自由も含まれるが)というのがある。つまり他人からどう言われようが、自分の思想と良心に従ってもいい、ということは国家的にも保障されているのである。

精神的に強くなる必要はない

他人の意見を気にせず、我が道を行く姿勢というのは、一般的にみれば「精神的に強い人」に類いされるだろう。だが、強い弱いの話では実はないのだ。あくまで視点の違い。日本人は協調性を重んじるあまり、他人の意見に敏感になりすぎているだけなのだ。前述の通り、批判する人も受ける側も、それぞれに自由があり、それぞれ尊い。他人を尊敬するからこそ、その人の主張を抑えるようなことはせず、受け入れ、それに従うかどうかを自分で判断するのだ。雨を止めるようなことはしないように、他人の意見を抑えるべきではない。そして、自分の内から湧き出てくる気持ちの洪水も、自分を含め誰にもせき止められるべきではない。

他人がどう言おうが自分の道を進むべき

我々が批判的な意見を恐れず、精神的に自由になるためによりベターな主張としては、意見する側に「批判するな」という押し付けよりも、すべての人に対して「どういう意見があろうとも、自分に従おう」ということだろう。批判するな、という意見自体、批判に批判しているのであって元も子もない。他の人を抑えつけるのではなく、自分自身を開放し自由になろうとする精神的努力が大切だ。