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Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

承認欲求を満たす2つの方法とその違い

承認には2つの種類がある。他人からの承認と自分自身による承認だ。他人からの承認は低次元であり、自分自身による承認は高次元である。マズローは低い承認のレベルにとどまり続けるのは危険だとしているが、承認欲求を満たすにあたり、残念ながらほとんどの人は低次元の承認を求めてしまっている。

自己実現理論 - Wikipedia

なぜ低次元の承認は危険なのか

低次元の承認=他人からの承認とは、上記ページにあるように、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などだ。一見、どこが危険かわかりにくいが、これらは全てコントロールできないことなのだ。つまり、この承認をいくら追い求めても、得られない可能性を孕んでいる。例えば、他者からの尊敬。どれだけ自分が素晴らしい振る舞いをしていても、尊敬されるかどうかは全く予測も制御もできない。道端に落ちている空き缶を拾ったとしても誰も見ていないかもしれないし、見ていてもなんとも思ってないのかもしれないのだ。他人からの承認を求めつづけていても、たまたまうまくいくこともあるだろうが、ずっと満たされつづけることはあり得ない。子供の頃は何しても褒められた(承認された)もんだが大人になっても褒められ続けるわけはない。他人の顔色を気にして生きるのもつらいが、さらにその欲求はなかなか満たされないので、自分の人生に絶望し、多数の尊敬を集めている人と自分を比べてしまい、悶々とした日々を送ることになる。非常に危険だ。

低次元の承認と高次元の承認の違い

一方、高次元の承認は、あくまで自分自身で自分を承認(評価、というとわかりやすい)することだ。低次元の承認と違い、自分の成果・やったことは正しく判定できる。自分なりに素晴らしい振る舞いができたのなら、自分自身でそれを評価できるし、空き缶を拾うとき、誰が見ていようがいまいが関係ない。自分の行動によって、自分や誰かに良い影響を及ぼすことができるかどうかを判定するのだ。これは褒められなくても感謝されなくても、やればやるだけ確実に満たされる方法だ。他人のために人助けをしたあと、その人から例え感謝されなくとも「自分はその人のために良い行動ができた」と自分自身で承認することができるのだ。 低次元の承認と高次元の承認の違いは、自分自身の評価をするかしないかである。誰から何も言われなくとも自分でしっかり自分のことを評価する。よい振る舞いができていたのならそれに満足する。仮に、褒められたとしても、それは直接受け取らず、一度自分自身で判断すること。自分自身がした行動は本当に良い振る舞いだったのかどうか。褒められたことを喜ぶのではなくて、誰かの役に立った事実を喜ぼう。(褒められた・感謝されたからといって、必ずしもその人の役にたったとは限らない、社交辞令や嫌味だってある。)

高次元の承認で欲求を満たすマインドへシフトする

低次元の承認は、他人の顔色を伺わなければならず、自分の人生が他人のためとなってしまう。高次元の承認は他人の評価は関係なく、自分自身の評価なので、納得して自分の行動を決めることができる。それが自分のための人生だ。他人の評価を気にすることは天気を気にすることに等しい。どうなるかわからない、という意味で。高次元の承認によって欲求を満たせてない人は、自分自身をしっかり見つめよう。自分のために、あるいは周囲の人間のためになる行動をしているかどうか。 あなたが落ちているゴミを拾うのは誰かが見ているからか、それとも自分自身のためか。ちょっと考えてみよう。