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Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

寡黙は美徳ではもうない

空気を読む、読めない(KY)などという言葉があるように、日本には協調性の高さ故か、その場の雰囲気を壊さないように努める風習がある。その最たるものが「寡黙」だ。こちらが細かいことを言わなくても相手に伝わる、相手が細かいことを言わなくても理解できること、「言わなくても分かるでしょう」という暗黙のルールが存在し、日本人はみなそれを美徳としている節がある。

なぜ言わなくても伝わるのか

日本はかつて一億総中流階級と言われるほどに、みな横並びであり、殆どの場合バックグラウンドが一致していた。みな、幼稚園に入り、少なくとも高校くらいは卒業していることが多く、過ごし方も似ている。当時は他の国のように格差が大きかったわけじゃないから、学校に行けないほど貧乏だったり、両親が犯罪者だったりするケースはレアだったはずだ。それで、高校や大学を卒業したらまもなく企業に就職し、定年まで勤めあげる。老後の過ごし方までも大体イメージできる。 このように、バックグラウンドが共通しているということは、わざわざコンテキストの共有をしなくてもいいので、黙っていても無意識に”この人は私と同じような人生を歩んでいる”という前提で、大体の価値観とコモンセンスを共有できる。

もう常識が常識でない

しかしながら、もう明らかなように経済大国としては日本は落ちぶれた。この後も、消費税増税が控えてるし、イギリスのEU離脱やテロの激化など、世界情勢の不安定さも相まって、余計に見通しを立てるのが難しくなってきている。当然格差も大きくなり、貧乏人がものすごく増えた。子供を満足に学校通わせることのできない世帯も増えてきているようだ。そうなると、私達がかつて常識だと思っていた常識は常識でなくなる。昨今では大学を卒業するのはあたり前になってきたが、今後はわからない。もしかしたら中卒、高卒も多くなるかもしれない。生活も金持ちと貧乏人の間ではものすごい隔たりがある。自分以外のバックグラウンドを想像できなくなる。世代間格差もある。価値観は細分化される。だから「言わないとわからない」ということのほうが、当然になりつつある。

常識は押し付ける側の詭弁

常識は便利である。常識をお互いわかっていれば(正しくは、お互い知っていることが”常識”なのだが)、言わなくてもいい、というのは非常に効率的だと思う。ただ、前述したとおり、もはや今までの常識は常識じゃなくなりつつあるので、そうはいかない。だが、昔から”常識”の上でやり取りしてきた若くない世代は、若い世代にもどんどん常識を押し付けてくる。今までそれで通用してきたからだ。「若い世代には伝わらなくなったから、きちんと伝えるように心がけよう」などと殊勝なことを考える人の割合は少ない。それどころか「今の若いものは」「これだからゆとりは」などと常識がわからない人を卑下し、無理やり自分たちの価値観を押し付けてくる。もはや、便利だったはずの常識は、押し付ける側だけに有利な詭弁になってしまっている。

常識だろうが非常識だろうが物事をしっかり見極める

ある人にとっての常識は、ある人にとっての非常識になりうる。その逆も然り。かつての一億総中流階級から時代は流れ、価値観が細分化されてしまっている以上、全員に通用するコモンセンスは少なくなっている。今までの常識が役に立たないシーンが増えている。だからこそ、慣例に従うのではなく、都度、自分なりの意見や考えを持つべきだ。その結果、”非常識”な行動を起こそうとも問題ではない。所詮常識は過去の経験からなるものであり、新しい考えはすべて非常識なのだから。やってみて、失敗したら失敗したで、改めればよいだけだ。

雄弁こそ美徳

常識が常識でなくなった以上は、言わなきゃ伝わらない。言ってもらわなきゃわからない。自分の言いたいことが伝わらないから、あるいは相手の考えていることがわからないから、といって一方的に相手のことを卑下したところで、なにも解決しない。きちんと相手の目線にたち、相互理解を深めることが本質である。そのためには、きっちり自分の意見を口で言わなければいけない。言わなくてもわかるよね、というのはもはや通じないのだから、とことん意見を主張するしかない。それで意見が合わなくても問題はない。先程から述べているように、価値観は細分化されているのだから。意見が合わなかったら、ビジネスだったら上司や他のメンバーと話して多数決なり折り合いをつければいいし、プライベートだったら、意見が合わないことで居心地が悪いのであれば付き合わなければいい。寡黙こそが美徳、が染み付いたままだと、生きてて楽しくなくなる。相手にわかってもらえないし、相手のことを理解できない、そんな納得しない状態で物事を進めるのは苦痛以外の何者でもないからだ。必要なことはきちんと言い、相手のこともきちんと聞くこと。多様性が増してきた現代ではこういう風に自分も変化していかなければいけない。