Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

"他人のため"の行動は他人のためならず、"自分のため"の行動はみんなのためになる

この間、友人から「風邪で高熱がでて体調不良だったが、同僚に迷惑がかかるから休めなかった」という話を聞いた。その友人と友人の同僚の二人で担当タスクがあり、休むと同僚が一人で対応せざるを得なくなる、とのことだった。迷惑がかかるから、というのは”他人のため”の行動であるが、表面的な”他人のため”の行動は、他人のためにならないからやめろ、ということを強く言いたい。

”他人のため”の真意

このように、迷惑をかけたくないからというような”他人のため”というのは、実は嘘である。もちろん、意識してついた嘘ではないが。冷静に考えてみると、私の友人の行動は他人のための行動としてはとてもじゃないが利口なやり方ではない。だって、風邪をひいているのだから、その体調で出勤してしまえば共倒れしてしまう可能性がある。そうなると仕事は回らなくなるし、余計職場に迷惑がかかるであろう。さらにいうと、無理して来られると、同僚だって休みづらくなる。

ではなぜ、それでもあえて出勤してしまうのか。至極単純で、その同僚に嫌われたくないから、である。私が休むと同僚の仕事が増えて大変になるかもしれない、それによって私は文句を言われるかもしれないし、嫌われるかもしれない、と無意識的に感じ取り、”嫌われたくない”という気持ちを”他人のため”という嘘に変換し、出勤するのである。つまりは、”他人のため”は実は”自分のため”なのである。しかもここでいう”自分のため”は非常に嫌われたくないから、という非常に刹那的で感情的な、低級な利己主義である。先の共倒れのリスクがあるように、低級な利己主義は、周りも、自分も幸せにできない。

まずは自分ありき

少し考えて欲しい。”他人のため”の行動というのは、自分に余裕がないときに出来るものだろうか。実際には無理だろう。お金が余っていれば友人にお金を貸すことだってできるが、自分にお金がなければ貸すことができないように、自分が満たされて初めて、幸せは分け与えれるものだ。まずは自分に余裕が必要なのだ。自分に余裕がないのに、友人にお金を貸して、自分の生活が立ちゆかなくなったらどうする?それをみた友人は気持ちがいいだろうか?そういう人に限って、あなたにお金を貸したせいだ、と愚痴ってくるかもしれない。友人からの御願いを断るのは、気が引けるが、これも嫌われたくない、という低級な利己主義によるものだ。それから脱するために、「まずは自分ありき」を思い出して無理な御願いはきちんと断ること。その時は友人に嫌な顔をされるかもしれないが、無理をしてふたりとも不幸になってしまう可能性を回避できる。まずは自分ありき、という考え方は、確かに利己的ではあるが周りにも有益な、高級な利己主義といえよう。

他人の課題は他人に任せろ

冒頭の例でいうと、実際休んでしまったら同僚はどうなってしまうだろうか。一人で仕事が回すことができず、お客様に迷惑かけるかもしれないし、遅くまで残業になってしまうかもしれない。普段二人でやっている仕事なのだから、一人が欠けるだけでも大きいだろう。だが、そんなことは知ったことではない。それはその同僚が考える課題なのだ。その同僚がやるべきことは、まず上司と相談すること。一人で回すのが無理なら、それを言って仕事量を調整するなり、他から人員を調達するなりが必要だと訴えること。暫定的な対策だけでなく、恒久的な対策も考えるべきだ。むしろ、一人休んだら本当に仕事が立ちゆかなくなるのであれば、そんな脆弱性を抱えてしまっている業務体制を考えた上司や経営者が悪い。そこをきちんと訴えるべきだ。逆に友人ができることは、まずはしっかり休んでさっさと風邪を治すこと。そして職場に復帰できたら一緒に恒久対策を考えること、それこそが”他人のため”の行動である。

日本全体に蔓延している”他人のため”をやめよう

この”他人のため”が負の連鎖を起こしているのを度々見かける。「付き合い残業」もその一例だろう。自分は仕事が終わっているが、同僚がまだ終わってないので帰りづらい。仕方なく一緒に残る。これも”嫌われたくないから”という実に低級な利己主義だ。無駄すぎる。先に帰ってしまうと、一時的には嫌な雰囲気になるかもしれないが、それは逆に「あなたも付き合い残業しなくていいですよ」ということでもある。「自分の仕事は終わった。他の人は残っているけど、疲れているから帰ってしっかり休もう。次の日も困っているようだったら手伝ってあげてもいいかな」くらいの気持ちで、利己的でありながら、余裕がでたら周りを助けるつもりでいること。高級な利己主義というのは、自分が幸せになるのはもちろん、周囲の人間も幸せにできる。周りも同じように行動し始めると、さらに自分にも他人の余裕によって幸せが分け与えられる。これが正しい”他人のため”なのだ。他人のために、まずは自分から。”他人のため”と嘘をついて自分も他人も不幸にする行為は、もう止めよう。嫌われてでも、本当の意味で自分のため、他人のための行動を心がけよう。