Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

怒りをコントロールする必要はない

最近、巷で”アンガー・マネジメント”という言葉をちらほら聞く。直訳の通り、怒りを管理する、ということだが、怒りはコントロールする必要はない、というのが持論だ(アンガー・マネジメントの中で使われているメソッド自体は素晴らしく、気付きにはなるので、アンガー・マネジメントの手法自体を否定するわけではなく、最終的には"管理"はいらないという意)。

怒ってどうにかなるの?

物事がうまくいかなかったからといって、怒ったり、不機嫌になる人がいる。原因は色々あると思う。友人に約束を反故されたとか、仕事で理不尽な扱いを受けたとか。それで嫌な気持ちを抱いてしまうことは仕方がないが、怒ってどうにか解決できることなのだろうか。怒ってどうにかなるならば、思う存分怒るべきだと思う。だが、私は今まで、怒ることで状況がより悪化することはあれど、円満に解決できる問題を未だかつて見たことがない。

じゃあなんで怒るのか

厳密に言えば「怒る」こと自体が問題ではなく、その怒りの矛先を他人に向けてしまっているのが問題だろう。自分の怒りを暴言、暴力に変え、他人で発散する。内々では勝手に怒っていても、他人に影響が及ばなければどうということはない。大抵の怒る人は、他人に怒りをぶつけたいだけにすぎない。他人に怒りをぶつける心理は、結局は * 誰かにどうにかしてほしいという心理 * である。

怒りを撒き散らす人は、誰かにどうにかしてほしい、つまり、自分がなにもしたくないから怒る。 - 自分が悪くないという主張
怒る=自分は悪くない、という意味だ。自分に落ち度があったら怒るのではなく罪悪感を覚えるはず。自分の責任を回避するために怒っているパターン。「自分が悪くない、だから誰かどうにかしてよ」 - 他人にかまって欲しいから
怒ることで、他人に何かを察して欲しいパターン。怒ることで周囲の注意をひきつけ、誰かどうにかして、ということを訴えている。

ただ怒りを撒き散らすだけでは子供も同然

誰かにどうにかしてほしいから、怒りを撒き散らす。周囲の人は困惑する。すごく既視感がある構図ではないか。これは子供が親に何かを主張したり、懇願するときの行動そのものなのだ。欲しいおもちゃをなんとかして買って欲しくて怒る(泣く)行動そのものなのである。怒ったり泣いたりして、注意をひきつけ、自分の思うとおりに事を運びたい。一人ではなにもできない、子供がよく行使する手段である。

あなたがもし"子供"ではないのであれば、もう少し建設的に物事の解決を図るべきだ。大人になっていれば、一人でできることも子供の時にくらべて増えているし、なにより自己を律することができるはずだ。周りに当たりちらすよりも、口頭で助けを求めたり、必要なことであれば理路整然と主張したらいい。その方が円満に解決できるのは明らかだ。それをサボって、怒りに身を任せるとより難儀なことになる。

少し考えれば分かることだ。怒ったところで何の利益もない。怒ったところでなにも解決しない。それを本当に理解していれば、怒りをコントロールせずとも、自然に怒らなくなる。怒ることがバカバカしくなるからだ。

ポジティブな怒り

先にも述べたが、怒り自体は悪いことではない。怒りはモチベーションに成りうる。私は怒りを「やりたくないことを如何にやらないか」というモチベーションに利用している。いつまでも非効率に運用されている仕事があるとしたら、私はそれに対して怒りを覚える。「何故私がこんなことをしなくちゃならないのだ」と言う風に。もちろんそれで他人にはあたったりはしない。その怒りを利用して、どうにかして効率化できないか、楽しく仕事ができるようになるか、というのをひたすら考える、行動に移し、解決する。

周りに対して当たってもなにもいいことはない。少しムッとして他人に当たりたくなったら、ひとまず深呼吸をして、考えを整理してみることが必要だ。