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Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

ネットで人生相談することの無意味さ

あまり2ちゃんねるのことは知らないけれど、まとめサイトとかはよく見る。またこれもよく分かってないのだけど、鬼女板・気団板というのがあって、既婚した人向けの掲示板カテゴリもあるらしく、そこにはすごい数の相談が飛び交っている。少しばかり興味本位で覗いてみたりするが、大抵無意味で非生産的な人生相談ばかりだ。

よくあるのが、「旦那がxxなんですがどうするべきですか」「嫁がxxなんだが俺が悪いの?」といった内容である。

人生相談という名の愚痴

「どうするべきですか」という質問には度肝を抜かされる。あなたはどうしたいんですか、したいようにしたらいいんじゃないですか、という話である。「誰が悪いの」という話も、100:0で良い悪いが決めれるわけはないし、双方良い部分もあれば悪い部分もあるかもしれないし、仮にそれが分かったからといって、なんなのだ。どちらが悪いかを追求するよりも、どうすればお互いが納得できるかという生産的な解決方法を模索するべきである。
正論を述べればこういう風になるが、彼らは彼らで実は解決を求めてなかったりもする。そんなわけはない、と思うかもしれないが、表面的には解決しようとしているようにみえても、本当の意味での解決を求めてはいないのだ。彼らが言いたいことは次の2つのうちいずれかに集約される。

  1. 「周り/環境が悪い」
  2. 「私は悪くない、だから私は可哀想」

特に、「誰が悪いのか」という質問はわかりやすい例だ。まず、自分が悪いと思っていればそんな質問はするはずがない。誰かに聞かずとも反省するしかないからだ。つまり、誰が悪いのかを聞くふりをして「相手が悪い、自分が悪くない」というのを認めてほしいのだ。それに、本当に解決したかったら誰がわるいかどうかじゃなくて、どう解決するかを話したほうが明らかに早い。

なぜ他責にするのか

これは非常に簡単なロジックで、楽をしたいからである。これに気づいてない人は本当に多いが、相手のせいにするということは、相手に責任を押し付けること。つまり、自分に責任がない、ということになる。自分に責任がないということは、自分自身は何も変えなくても良いということだ。相手に責任があるのだから、相手が自分の都合の良いように変わるべき。無意識にそういう風に思ってしまっているのだ。

だが、それ自体は悪いことだとまではいえない。なぜならば、人というか、生物は楽をしたがる人間なのだ。目的がなければ無駄に走って疲れたりはしないだろう。マラソンが好きな人は走ること自体が好きというよりも、走った後の達成感だったり、マラソンのゲーム性を楽しんでいるだけにしか過ぎない。肉食の野生生物を見るとわかりやすいが、獲物をとる時以外はわざわざ全速力で走ったりはしないだろう。サボれる分はサボる。生きる上で大切な行為だ。何が原因かを見定めてどう変化させれば物事を解決できるか、という行為はすごく頭を使うし疲れる。特に自分自身を変えるということは、パワーも必要だしそれ以上に、自分自身を否定する行為でもあるのだ。「今までの自分が間違っていたから直そう」と決断するのはすごく疲れる。それをしたくがないために如何に「自分が可哀想か」「相手が悪いか」というのを主張したがるのだ。

だから、「どうするべきですか」というような質問も結局自分で考えたくないから訪ねてるのだ。そして、そういう人に限って結局自分の都合のいい答えしか見ようとしない。都合のいい答えというのはつまり、「あなたは悪くない、相手が悪い」というような回答だ。これも結局は「私は可哀想な人間だ」ということを主張して、自分を変えることをサボっているだけだ。

他責にしても疲れるだけ。どうするかは自分で決めるべき

相手に責任を押し付ける行為は、楽なことだといったが、あくまで刹那的な話である。中長期的に見れば、きちんと自ら行動を起こし問題を解決したほうが、生活は楽しくなる。それなのにも関わらず大抵の人は刹那的な生き方をしてしまうのだ。少し先の利益よりも目先の利益をとる。よくある話である。だが、常に楽な方、楽な方、ばかり選んでいては最終的には苦労しか待ってないのは自明である。面倒だが、どこかで問題は解決しなければ長い間、もしかすると一生ついてくるのだ。

そして、なんでもかんでも他人のせいにせず自分のせいにしろ、とかそういうことではなく、まずは自分がどうしたいかという自分の意志を持ち、自分でどうするか決めること。どうするべきですか、なんて誰かに相談しても仕方がない。相手が悪かろうが自分が悪かろうが、直せるものもあるし直せないものもあるのだ。例えば、どうしても家事をしない旦那と、どうしても家事を分担したい嫁がいるとすると、旦那が悪い、という風になりそうだが、それでも彼がやりたくないなら仕方がないと思う。歩みよれないなら家事をアウトソーシングするとか、最悪離婚するというのも視野にいれるべきだ。やりたくないことをやれと強制できる権利は誰にもない。もちろん、歩み寄れる分には歩みよるべきだが。

みんなはあなたのコンテキストを知らない

相談というのは参考程度にしかならない。なぜなら相談を受ける側は相談者自身じゃないから。どれだけ夫婦間のいざこざ、友人間のいざこざ、職場でのいざこざについて相談にのってもらったとしても、相談相手は相談者の細かい環境も、いざこざの根本的原因も、雰囲気もわからない。一般的なことしかいえず、最適解を出せるわけもなく、結局は自分自身で考えるしかない。

そもそも正解はないし、責任は当事者間にある

大抵の人は正解を求めすぎである。一方的に誰が悪くて誰が良いとか、何が良くて何が悪いとかはこの世にほとんどないだろう。ある視点から見れば良いことでも、ある視点から見ると悪いことだってある。正解はない。だから、第三者の意見なんてどうでもよく、当事者間の問題なのだ。いくら第三者の言うとおりにしたって、正解なんてないのだからどうなるかわからないし、それが及ぼす結果について、第三者が責任を取れるわけがない。結局は当事者たちだけがその結果の責任も取るのだ。だから自分たち自身でどうするべきかというのは決めたほうがいい。

有意義な相談とは

相談自体が無意味なことではない。これからどうするかという意志を持った相談というのは、非常に有意義である。それだけで、例えば、「弁護士を目指すことを決意しました、弁護士になるまでにどういうパスが考えられますか」とか「職場の人間関係に疲れたので転職したいと思います。転職のコツをおしえてほしい」とか、具体的な相談になってくる。情報収集や、色んな視点からの意見を集めるために相談するべきで、決して、意思決定を他人に任せてはいけない。