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Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

幸せ/不幸せは相対的に決まる常識。そして相対的に決めてはいけない。

最近少し驚いたことがあった。仕事仲間の一人から、最近離婚したという報告があったのだ。それを聞くまでは特に夫婦間の不仲などは聞いてなかったし、私とお互い結婚観だとか、私は子供がいないが彼の子供のことなどを話していたので、急な話だと思ったのだ。離婚した理由は細かくはわからないしここでは割愛するが、とにかくいま問題なのは子供に逢いづらいということだった。子供は奥さんに引き取られており、月に1回とか子供に会う約束をとりつけていたはずが、なんやかんや口実をつけて約束が反故され子供と会えないことがままある、という。その愚痴をきっかけに、子供の幸せについての話に話題は推移していった。

シングルマザー/シングルファザーの子供は本当に不幸せか?

彼は、離婚をすることは子供にも大きな負担を強いるし、片親で生活させることによるストレスなどで不幸になってほしくない、という。不幸になってほしくない気持ちについては賛同するが、片親だから不幸というのは単純すぎる考えだと思う。子供にとって、両親がいるから幸福か、ということは必ずしもそうではない。無論、両方いたほうがいいだろうが、その両親同士の馬が合わずケンカをしたり、その憂さ晴らしで子供に当たることのほうがよっぽど子供にとっては不幸だろう。それならばいっそ、別れてもらったほうがいい。離婚するとはそういうことなのだ。馬が合わないとか、他に良い人が見つかったとか、どういう理由であろうが、一緒にいることができなくなった、ということであればもう別れてしまったほうがいい。お互い我慢して円満に生き続けることができるほど、人間は器用ではない。ましてや子供はいとも簡単に表情から違和感を察してしまう。一概に、両親がいるから幸せとか、片親だから不幸だとかそういう結論にはたどり着かない。なるべくしてなったというだけだ。今更子供を生む前とか、結婚前にロールバックできない。

なぜ不幸せだと思ってしまったのか

彼が片親が不幸せだと思ってしまったのは幸せを常識と相対的に見ていたからに他ならない。一般的に、子供は両親がおり同居もしており、その両親から愛情を育まれて育っている、という常識が浸透していると思う。これは日本がかつて一億総中流と言われた時代からの名残の一つだと思う。普通に小中高を卒業して、父は働き、母は家事をし、といったステレオタイプな日本的家族だ。それと比べると離婚というのはショッキングな出来事になってしまう。しかし、どうだろう。他にも離婚している家庭はたくさんあるし、前述のとおり両親がいるからといって幸せとも限らない。さらに、両親がいる/いないの話をするならば、兄弟は居たほうがいいのか?祖父母は?犬や猫などのペットは?それらがいるから幸福か、不幸なのか、というのはどうやっても語ることが出来ないだろう。しかしながら、人は常識と比較して幸せを定義してしまう。

どうやれば幸せか

幸せ/不幸せというのは、「こうだったら幸せ」「これがあったら幸せ」とかは具体的に定義できない。人間の欲には限りがない。悪い意味ではなく、今が満たされると次は何で自分を満たそうか考えたくなるものだ。衣食住が確保できない状況で、食事が取れたらとても幸せに感じるだろうが、金持ちが軽食をるくらいでは特段なんとも思わない。幸せとは自分の中でしか感じることができないものだ。幸せは他の人や常識と比較して感じることではなく、もっと直感的な感情なのだ。すいたお腹が満たされた、やりたいことができた、今日一日楽しかった、そういうことだ。

あらゆる状況でも幸せになれる

だから、仮に子供の両親が離婚したからといって、そうなった過去を嘆くのではなく、これからどうやって幸せになるかを考えるのが生産的で、簡単で、それだけで楽しい。自分の人生もそう、仮に事故で片腕を失ったとしても、その状態から何ができるか。過去の自分と比べても意味がない。比べることで幸せになることはないのだから。カードゲームで今持ってるカードをどう切るか、を考えるかのごとく、自分が今何が出来るか、今置かれた状態からスタートすれば、不幸は訪れない。何も行動を起こさず今を変えようとせず、今を嘆くことが一番の不幸だろう。