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Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

「才能があるかないか」ではなく、「やるかやらないか」。グリッドを持ち続ける大切さ。

私は4年ほど社会人になってコードを書き続けてきた、一端のプログラマではあるが、スーパープログラマではない。それに比べて、年下どころか、まだ学生なのに私より素早く、難しいアルゴリズムを実装できる人もいる。やはりWizardになるには才能が必要であり、私には才能がないと思っているし、それによってできるプログラマに対して劣等感を覚えた。ひいては、コンピュータ・ITが好きなので「好きなことを仕事にする」ことができているので恵まれた労働環境であるはずなのに、劣等感からだんだんと仕事に対する辛さがでてきていた。

 

私はプログラムは普通のプログラマの水準くらいにはかけるが、特段秀でてはいない。ただ、私はコミュニケーション(社交性ではない)には長けているし、管理者や教育者として必要なマネージスキルやインストラクションスキルなどは才能として持ち合わせていると思う。なので、いよいよプログラミングが辛くなってきたと本当に感じ始めた時、別の業種に転職したほうが自分の才能を活かせ、人生を幸せにすることができるのではと考えることがあった。

 

ただ、なぜプログラマをやっているかというと、コンピュータ・ITが好きで、そしてそれを通して問題解決をし、誰かの役に立ちたいという一心なのである。誰かの役に立つ、ということは別にプログラマでなくてもできるが、最早好みの問題であって、大好きなコンピュータを使って問題解決をするそれ自体が幸せなのである。別なことができるとしても、私は結局コンピュータを使ってなにか効率化できないか、など思慮を巡らせることになるだろう。

 

好きでやってるのに辛い。プログラマで在り続けるべきか、才能がないことでそれを見限って別なことをやるか。時折考えるテーマであったが、私はプログラマ、ITエンジニアであり続けることを少し前に決めた。いままで、才能がないことに後ろめたさを感じていたが、才能は関係がないことがわかったからだ。というのも、才能があるように見えるプログラマは、実際に才能はあるにしろ、ないにしろ、とにかくプログラミングなどコンピュータに関わるのが好きで、やり続けている。そういう人たちはただ、出来るようになるまでやり続けているだけなのだ。無論、出来なければ楽しくないが、ずっとではない。例えば、参考書などを読んでプログラミングの勉強をしていると、どうしてもわからない箇所がでてきたりする。そうなると、つまらなくなるので、手を止めてしまう人も多い。しかし、才能があると思われる彼らは分かるまで没頭する。私はプログラミングを職業にするのは怖かった。学生の頃は、まさに参考書に書いてあることすらなかなか理解できなかったからだ。しかし、今になってみれば入門用の参考書やその他書籍を読むと、特段難しいことはない。なぜ分かるようになったか、というとわからないなりにもがむしゃらにやっていたら、なんとなく体感で分かるようになり、その暗黙知形式知に昇華できるくらいに気づいたらなっているのだ。

これは自転車に乗る訓練に似ている。初めて自転車に乗るとき、もちろん最初から乗りこなせるはずもないし、なにより運動があまり得意でない私にとっては、こんなもの果たして乗れるようになるのか、と思ったものだ。しかし周りの友達が悠々と自転車に乗っているのを羨ましく思ったので、とにかく続けてみたら出来るようになった。何故乗れたのかは覚えていない。自転車に載るためのハウトゥであれば、教本をかけるくらい暗黙知形式知としてひねり出すことはもう出来る。重心がどうだ、やら、車輪の回転でジャイロ効果云々など高尚なことが書けそうである。ただし、過去の自分はその教本を読んでも乗れない。教本に書いてあることを頭で理解したとしても、結局できるようになるまで転ぶしかないだろう。つまり、このようにやってみなきゃわからないし、やり続けるしかない。すべての知識は暗黙知からくる。

 

そのやり続ける力を「グリッド」というらしい。この言葉はTEDで初めてしった。

logmi.jp

やり続ければなんだってできる。至極単純である。まぁ、死ぬまでにできないこともあるかもしれない。だからなんだというのだ、平々凡々な人生でも、好きなことをやり続ければそれは幸せではないか。少なくとも、プログラミングであれば一つや二つの言語くらいマスターは容易いだろう。ただやり続ければいいだけなのだから。そして、わざわざ他人と比べて劣等感だのを考えなければ、楽しいのだ。そんなものは人生におけるノイズのようなものであり、自分のペースでもいいからやり続ければいい。

そして、グリッドは努力ではないはずだ。努力、という言葉には「苦労」が隠されている。苦労している、頑張っている、そういう意識では本当にやりぬくことは難しい。楽しくてやっている、好きでやっているという意識、そうでなくとも、当たり前のようにやるという意識が必要だ。朝起きて毎日歯ブラシをすることや、何分も書けて会社に出勤しつづけることは、努力だと思っていないはずだ。当たり前のようにやっているに過ぎない。

 

たまたま今日、知り合いのできるエンジニアは1日18時間は仕事(≒プログラミング)をしているというのを聞いた。好きでやっているらしい。結局、そういうことなのだ。やればいい。御託を並べてやらないのは、そういった人生のノイズを理由にして、サボりたいだけなのだ。明日の仕事がどうだの、他にもやることがあるだの、それは皆だって同じだ。やり続けるのみ。才能も努力もいらない。