Think Village

日々思ったこと、気づいたことを推敲もなしに気ままに書き綴っています。

時間効率を上げて、余裕を持つ

時間は有限、だからこそもったいないと感じてしまう

私は時間をうまく使わないと「もったいない」と感じてしまう性格だ。時間は有限で、常に足りないと思ってしまう。日頃忙しいと感じてる人ほどわかってもらえる感覚かと思う。

それ自体は悪くはないと思うのだが、その感覚は悪い影響も及ぼす。例えば家族と過ごす時間や、家族のために時間を使うとき。たとえば配偶者との買い物や、子供をあやす時間、あるいは両親に会って雑談する時間、親戚も交えてこなさないといけない、集まりなどの親戚タスク。あまりそういうことに時間をつかいたくないな、と思ったことはないだろうか。そういった時間の過ごし方に対しても、時間がもったいないと思っている人は「こんなことに時間を使うんであればもっと勉強できたな」とか、「なんかもったいないことに時間を使ってしまったな」悪いイメージをもってしまうものだ。あるいは、仕事のことなどを考えてしまって純粋にその時間を楽しめなかったりする。そういった精神衛生上悪い影響もあると思うのだ。
しかしながら、かといって、時間があればあるほど100%常に有意義なことに時間を使っているか?といえばそういう人間は皆無だろう。なんだかんだ仕事や勉強の切れ間でダラダラしてしまったり、土日は惰眠にふけってしまう人もいるかもしれない。

  • 家族サービスやその他生産的ではないと思っている行動に時間を費やす→もったいないと感じてしまう
  • いざ時間はあったはずなのにダラダラすごしてしまう→結局有意義に時間を使えなかった

この繰り返しをしている人は結構多いのではないか、と思っている。私自身はまさにこれの繰り返しで、時間をもったいなく思っている割に、あったらあったで無駄遣いしてしまうのだ。

おそらく、ありがちな失敗

これを解決する方法として、まず思いつくのが「無駄な時間を減らす」ということである。無駄な時間とは、朝起きてから準備が終わるまでの時間、食事の用意時間、夜のシャワーを浴びる時間、など様々な生活するために必要な行為に要する時間を指す。そして、それらをすべて手短に終わらせればいいのだ、とまず思いついた。

箇条書きにすると以下のようなことである。

  • 朝は必ず7:00に起きる
  • 起きて30分以内に準備をすべて終わらせる
  • 食事は極力手間を減らし、最短で用意する ...

など、それぞれの行為に対して時間を設定し、さらにスケジューリングまでしてしまうのだ。モチベーションが高い最初のうちはうまくいくが、お察しの通りあとからうまくいかなくなる。思い当たる原因として、ひとつ、大きな問題があった。

それは、

すべての行為に集中し続けなければいけない

という問題である。常に時間や手間を意識し行動することは、それだけで相当な集中力とストレスを要す。休まる時間がない。時間を空けるために頑張ってるのに、空けるためにいっぱいいっぱいになって疲れ果てては、いざ時間が空いてもなにもすることができなくなってしまうし、そもそも続かないのでさらに自己嫌悪に陥ってしまうのだ。

ディープライフという考え

なにかいい方法がないか、と考えたり調べたりした結果、以下のスライドに出会った。

speakerdeck.com

まさに自分と似たような価値観をもつ方の有意義なスライドだ。 詳細は見てもらうとして、要約すると大事なのは、

時間あたりの集中力を上げる

ということだ。

私が失敗したのは「すべての時間で集中しようとしていた」ことにある。集中の総量には限界があるから「やると決めたことだけ集中してやる」という事が大事だったのだ。

実践していること

スライドには具体的なハウトゥーはなかったので自分が日頃やっていることを並べてみる。

  • ポモドーロタイマーを回す
    ポモドーロ・テクニックというものがある。具体的には調べてほしいが、25分集中して5分休む、というのを繰り返すメソッドだ。実際には他にも要点があるが私の場合は一旦時間の区切りだけに着目している。25分間はめちゃくちゃ集中するという制約。5分休みは状況によって長引いたりしてしまうが、大事なのは25分集中することだと割り切っている。

  • 毎朝その日のTodoのチェックリストを作成し、チェックを埋めていく
    人は時間があるだけではなにもできない。時間と課題が重要なのだ。だから、その日やるべき課題を箇条書きで毎朝作る。このとき、可能な限り具体的で細かく区切るのが良い。具体的に決めれば決めるほど、やるときに迷いがなくなるので集中がしやすい。思考と作業のいったりきたりは思った以上に脳を疲れさせてしまうので、なるべく朝で考えれたほうがいい。さらに、細かく区切るのは、進んでいる感があればあるほど達成感が増すからだ。細かくタスクを区切ればその分完了チェックをつけやすくなる。そのスパンが短いと、次のタスクも集中してサクッと終わらせるぞ、という気分にさせてくれる。 また、これも繰り返さないとわからないが、なれてくるとなんとなく自分の処理能力がみえてくるので、チェックリストはなるべくその日で終えるような量にする。逆に早く終わらせてその分なにかしようという気持ちにもなれる。

  • タスクの区切りが悪くてもしっかり休憩する
    はかどっているときはポモドーロタイマーを無視したり、ずっと作業に潜り込んでいたい、ゾーンのような時間帯がある。しかしそれでも休みは取るべきだ。過集中してしまうとその後のパフォーマンスは劇的に下がり、なにもしたくなくなる。それに、端切れがわるいからこそ、次やることが明確なので休憩から復帰するときもスピードが早い。

結果

集中するときは集中する、ということができてくると、仕事や勉強以外の家族タスクや生活タスク、あるいは休みたいときなど、リラックスして構えるようになる。急な出来事に時間とられても、もったいないという気持ちはなくなるし、頭を切り替えて「空いた時間に集中すればいい」と考えられるようになる。 そうすると無駄だと今まで思っていた時間も楽しく感じられるようになってくる。 休みも大事、家族タスクも大事、そしてその間は仕事のことも考えなくてよくなる。

時間効率を上げる方法、やり方は人それぞれだと思うが、日々忙しいと思っている人にはおすすめだ。

最高のチームとは

結論:攻殻機動隊「公安9課」のようなチームワーク論である

私が好きなアニメ・漫画で知らない人には申し訳ないが、「公安9課」と呼ばれる少数精鋭チームのボス荒巻課長の言葉に非常に共感を覚えており、好きな考え方だ。

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―― 我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。


この言葉は、真正面から捉えてしまうと、非常にドライな印象を受けてしまうかもしれない。実力主義で成り立っている少数精鋭だから、各々が実力を発揮しないと意味がない、逆に言えば実力を発揮できなければ存在価値がないという風にまで見えてしまうかもしれない。

ただ、私の場合は単に「実力主義」ありきの言葉ではないと実感している。

私はもともと効率を重視して考えがちなため、チームや組織・仕事における問題や課題をどうすればクリアできるか常々考え、実行に移すタイプだった。どのようにすれば成果物の品質があがるか、コミュニケーションが円滑になるか、組織全体の技術力をあげるにはどうするか、などだ。その一端として、それをクリアするためにワーキンググループを立ち上げたり社内勉強会開催など実際に行動にうつしていたこともある。目の前に課題が現れたら、いかにして解決するか、行動しないと気がすまないたちだ。

しかしながら、おおよその会社員・チームメンバーはあまりそうではないと感じていた。だいたいの人は、ある程度収入があり、無理しない程度の残業や理不尽なことは、何も気にすることなくそれを受け入れ、流されてしまう。問題があることを意識していても、それを解決するには問題提議が必要なだけでなく、それに対する解決案の提示、そして周りを巻き込む必要があることを考えれば、なるほどたしかに、課題解決というのは難儀なのは間違いないと思う。

みんな主体性がないのだ。チームの雰囲気を壊さず、与えられた仕事をこなせば、そんな難儀なことをしなくとも生活できる。わざわざ主体性をもって率先して行動を起こす必要性はあまりないだろう。 行動するとしても上司やリーダーから言われたことを雰囲気を壊さないようにこなす。なぁなぁなチームプレー。これを否定するのが荒巻課長の言葉だと考えている。

各々が主体性をもってベストを尽くしているか、ということである。

各々が強力な主体性を持っているとどうなるかというと、最終的には、誰かが誰かの許可を待ったりはせず、どうすればチームとして有機的に力を発揮できるか考えすぐに行動に起こす、ということが繰り替えされるはずだ。 例えば、誰かがAをやっている、他の誰かがBをやっている、じゃあ自分は誰も手をつけていないCを勝手にやる、という風に主体的に考えて行動すること、それこそがスタンドプレーだと思う。必要だと思われることは主体的にやる。誰もこなしていないタスクがあれば率先して拾うし、コミュニケーションが必要だと思えば、自らそういう場を作る。チームが最大限の力を発揮できるよう、常に考えを巡らせ、自分がやれることをひたすらやる。それは最早チームプレーというものではなく、各々によって独自にコーディネートされた、強力なスタンドプレーだと思うのだ。

実際、そういう仲間があつまり、背中を任せられるというのは本当に気持ちがいいものだ。正直、あまり巡り会えるものではないと思う。ある一定以上の人数がいれば、集団心理が発生し民度もさがったりするものだ。だからこそ、強力なスタンドプレーをし合える、少数精鋭チームで仕事できるのは至高な体験である。

目的意識を持つことでモチベーションをコントロールする

似たようなことはしょっちゅう言ってるが...

ダイエットや英語の勉強などは、常にそれらのビジネスの需要があるのをみると、継続することに成功していない人が多いことがわかる。(自分もその一人だが...) まず、モチベーションを自体を自分で継続させることは基本的に難しい。すぐに結果が出たり、割とイージーに物ごとが進んで、やること自体が楽しくなってくればしめたものだがそういう例はレアだろう。

やはり、継続してやれるようにするには、まずはなにかしらの目的が必要だと思われる。 例えば、自分はプログラマーなのでプログラミングの勉強会などで自ら発表するようにし、それを目的にプログラミングについての勉強をする。その他についてもそういう機会を見つける。見つけれない場合は、自らそういう場を開いたりしていく。継続することよりも、コミュニティに参加したり、場を開いたりすることのほうがちょっとの勇気で済む分簡単だ。根気はいらない。だからまず目的づくりからやって、あとはなるべく「やる気」には頼らないようにしていく。やる気はやるぞと意識した時点が最も高く、あとは下がり続ける一方なので当てにならない。

仮に目的づくりすらできそうにないことがあったとしても、実はそもそもやる必要がない事柄なのかもしれない。最低限目的づくりができるコトこそが、継続できるコトになると思う。

なぜ未婚や子供なし世帯が増えるのか

個人的には金のあるなしはあまり関係ない気がしてきている。というのも、金があろうがなかろうが、価値観の多様性がそうさせていると思うからだ。 (先に言っておくが、家族や子供を持つべきではありません、ということが言いたいわけではない。)

今日では、価値観がかなり多様化しているのは紛れもない事実だろう。趣味レベルでも一昔前とは大分違ってきていると思う。例えば男なら、スポーツなら野球、娯楽は酒やパチンコやタバコというような感じだろうか。今ではそれらを画一的に男性が親しんでいるわけではない。

それと同じ理由で「家族が一番大事」「子供が好き(もしくは居て当たり前)」という概念も薄れつついくのを感じる。 まず、当の本人である自分だが、家族や子供は居てもいいと思いはする判明、そこでつかう時間を他に充てたいとも思ってしまうのも事実だ。例えば、自分はプログラマーなのでその技術の研鑽に時間を使いたかったり、あるいはビジネスに充てたかったり。余暇ではテニスに楽しんだり、そういう風に時間を使っていると、時間は使い切っていて子供が居たとしたら、どの時間を削るべきか、あまり削りたくないなぁと率直に思ったりする。

私は今の所経済的にそこまで不自由していないが、どれだけ経済的に自由でも、時間という概念は皆等しく1日24時間しかないので、価値観が多様化した現代では、家族や子供以外に時間を使いたいと思う人が増えてきてもおかしくないと思う。 みんなそれっぽい「お金がないから」という大義名分を理由としているが、実は、子供や家族にリソースを使うと他のことができなくなるから、というのが理由だったりしないだろうか。本当に「かなり子供がほしいが経済的に難しいから仕方なく諦める」という割合がどのくらいいるのか個人的に知りたい。

本当に家族や子供がほしければ、多少貧しくてもなんとかやっていける社会基盤は日本にはあると思う。価値観が多様化し家族や子供が当たり前ではなく、それよりもプライオリティが高いことをもつ個人が増えてしまっているのが少子化につながっている気がする。だからどれだけ政府が経済的な面だけを支援しようが、焼け石に水な気もしている。

逆に言えば、子供をもつハードルが下がれば解決するのではないか。1日に2時間程度子供見れば済むとか、そういうレベル。その時間の短さの実現は不可能そうだが、そのくらいの気軽さが求められている気がする。昔に比べて、子供に対して過保護になってきている(個人的感覚)のも、ハードルを上げてしまっている要因ではなかろうか。

高みを目指さなくていい。常に好奇心を持って生きる。

目標を管理することをやめた

もともと、周りにストイックと言われることがあるくらいには、時間の管理や目標の管理をしたがる自分だが、最近、少し生き方の方向性を変えていこうと思う本に出会った。

https://www.amazon.co.jp/%E4%BB%95%E4%BA%8B%E3%81%AF%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%AD%EF%BC%9F-%E3%81%8D%E3%81%93%E6%9B%B8%E6%88%BF-%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%B3-ebook/dp/B00SIM19YS

まぁ有名な本なので読んだことがある人が多いとは思う。この本に私は深く感銘を受けた。 私のように、目標を決めてそこから逆算して行動を起こそうとすると、どうしてもいかに効率よくこなすかという「効率厨」になりがちだ。効率厨になると、その過程は楽しめなくなり、結果だけを追い求めることになる。それが悪いことではないと思うが、弊害として

  • プロセスが楽しくなくなる
  • 目標以上のことを達成しにくく、可能性を狭めてしまう

ということが起きてしまうと感じている。それに気づかせてくれる良書だ。 目標と言うよりはゴールを決めるのはいいと思う。ただしそれは非常に抽象的なものであるべきだ。シンプルに「死ぬときに後悔をのこさない」というくらいの。

特に頭のいい人は、私がしてきたような目標の管理をしてしまうと思う。

今後どう生きるか

では今後どういう風にしていくかというと「あらゆることを試す」ことをしようと思う。この行動指針も本の受け売りではあるが、実際、私は他方に興味をもっているがそれらを諦めてしまうふしがある。それらに時間をとられると目標を達成できなくなるという強迫観念に捕らわれていたのだ。

そもそもなぜ目標を設定したりしていたのかといえば、人生を豊かにすることを考えていたからだと思うが、果たして人生の豊かさ、幸せとはなんなのか、改めて考えてみるとやはり地位や名誉というのは必要ないし、お金があったとしてもやりたいことがなければただの紙切れだ。人生における幸せとは、日々を過ごすこと自体が幸せであり、自分が持っているものに満足することが幸せなのである。よくある話だが、お金持ちになったけど人間関係がうまくいかなかったり、羽振りが良すぎて破産したりと、決してお金は幸せになるための道具ではない。私達の幸せは私達の考え方や生き方の中にしか存在しない。

そういう風に考えていくと、やりたいことをやりたいようにやる、というのが幸せの一つだと思うのだ。やりたいこと、というのは家を買いたいとか高級車を買いたいとかそういう消費的な願望ではなく、ささやかでいいので、「これをこうしたらどうなるんだろう」という好奇心を指す。 例えば、出勤のための道のりを少し変えてみるだけでもいいし、会う人を変えたり、いつもやらないことをやろうとしてみることだ。そういうちょっとしたことでもいいし、なるべくなら「今がより良くなりそうなこと」に手を出すのがいいと思う。例えば「こういう風にすれば会議をもっと短くできるんじゃないか」とか「こういう風にすれば売上があがるんではないか」ということを見つけ、そこに興味をもち、好奇心のままに「実験」を行うのだ。

その実験がうまくいかなくても、それは「仮説が間違っていた」という一つの答えにたどり着く。失敗ではなくそれも成功のひとつで、「実験」というのは数を繰り返し、仮説通りなのかそうじゃないのか、はたまた仮説を遥かに超える成果が起こるのか、それを見てみるための行動である。なので、うまくいかなくてもそれは決して失敗ではなく、一歩は進んだことになる。

好奇心のままに「実験」を行うのは、プロセス自体が楽しい。だからこそ、目標を達成するだけで終わろうとするストイックな考え方よりも、どうすればより良くなるか、常に考えて行動することは楽しいし、苦ではなくなるので図らずも成果が出るというわけだ。いわゆる「こだわり」という成果を出すために重要な要素もこの感覚が引き起こすものだと思う。

この記事に書こうとしたことは、「仕事は楽しいかね」に載っていることなので興味があるかたはぜひ読んでほしい。目標や時間の管理をしてきた人にとって、それを捨てるのはかなり勇気がいると思うが、私はそれを自分自身を被検体として「実験」してみようとおもう。おなじく被検体の仲間になってくれる同士が増えてくれれば心強く思う。

忙しすぎるは死のいとこ

惰眠を貪るのは非生産的。ただし(主に仕事で)忙しすぎるのも非生産的である。

忙しいとは、下記の状態を指す。

  • 「やらなければいけないことをたくさんやっている」 = 「忙しい」

文上は似たようなことでも、下記は忙しいとは違う。

  • 「やりたいことをたくさんやっている」 「忙しい」

「やりたいことをたくさんやっている」ということはそれはもはや娯楽であり、遊びであるから当人からすれば努力や我慢というのは発生しない。 目指すべきはその状態である。

忙しすぎることによる弊害

忙しいと、もちろんそれなりに充実感があるが「忙しすぎる」と、プライベートや家族との時間、自分のための時間を消耗してしまうので逆に非生産的ではないだろうかと思っている。 私自身忙しさには波があるが、忙しすぎの直後は本当に非生産的である。

  • まず、やる気がしない(燃え尽き症候群
  • いざ時間ができると今まで何していたかわからない
  • 緊張感が抜けてなく休めない
  • 休もうとしても仕事しなくてはいけないのではという不安感に駆られる

などなど、実際に様々な悪影響がでてしまっている。 こうなってしまうと、今まで築き上げてきた良い習慣や過ごし方が崩れ、戻すまでに時間と労力を要す。

忙しくしないために

やりたいことをやっているならいいが、「忙しすぎる」状態になるまえに、下記を思い出すこと。

  • 時間の価値 > お金の価値
  • 時間を消費してお金を稼げるが、時間がなさすぎると本末転倒である
  • あれもこれもはできない、見積もりはいつだって楽観的になってしまうこと
  • 仕事をなんでも背負い込みすぎない
  • 周りと協力する
  • 運動やリフレッシュなどを挟み精神をよく保つこと
    • 忙しいと後ろ向きになりがち
    • 健康が一番大事
  • 仕事と時間のメリハリをつけること
    • だらだら仕事をやると、時間がなくなる
  • 今まで築いた良い習慣が継続できるようにすること
  • 忙しさは他人が作り出すものではなく、自分で作り上げてしまうもの

年末から3月末までかなり忙しかったので、同じようなことはしないよう肝に銘じる。 同じ量仕事していたとしても、やりたいことを重点的にやれるようにする。

考え過ぎと動物的思考の狭間

動物と違い、人間は思考を言語化できるからこそ、悩みが発生するということをどこかで読んだ。人はしばしば「明日は月曜日」だと認識して絶望する。「あの人は自分よりも多くの稼ぎがある」と認識して嫉妬する。

昨日行った猫カフェに、前の片足が変に曲がってしまっている猫がいた。事故かなにかでそうなったのだろう。その猫を見たとき一瞬哀れんだが、直後、その猫は3本の脚だけで走り回っていた。楽しそうに。 その猫を見て哀れんだ自分自身こそがいじましいと自己嫌悪に陥った。

猫は刹那的に生きている。自分がどこかハンディがあるとしてもわざわざ他と比べて、落ち込んだりしない。今の状況から何をするか。それしか考えていない。 その動物的思考こそが、結局は強い。下手に小賢しいこと考える必要はない。 「ああ言ったらあの人にどう思われるかな」「こうしたら他の人からどう思われるからな」なんて思ってしまうのは愚の中の愚。自分に実直に生きる。その姿勢を思い出させてくれるから動物は好きだ。

無論、人間は人間なので、動物とちがって社会のルールなど遵守するべきことはある。「考え過ぎ」がよくないのだ。悩んだら動物と触れ合ったり、そういう思考に近い人(短絡的といいたいわけではなく、好きなことを好きにやる/やろうとする人)、と会ったりするのがいいだろう。 失敗してもくよくよしない、現状に文句を言わない。少し先の将来を不安に思ったりしない。「今の状況から何をするか。」それだけを考える。常々、前を向いていたい。